「世界最速」A・セナをつくった「男」
セナの体力は平均以下だった

 ‘91年、ブラジルには3人のチャンピオン・ドライバーが誕生した。F1のアイルトン・セナ(32)、インターナショナルF3000のクリスチャン・フィッツパルディ(21)、イギリスF3のルーベンス・バリケロ(19)である。そして、3人の栄光を陰から支えた人物こそ、フィジカル・トレーナーのヌノ・コブロ氏だ。
 史上最強のF1レーサーといわれるセナの秘密をさぐるためには、ぜひともこのヌノ氏に話を聞かなければならない。小誌はヌノ氏が住むブラジルのサンパウロで、直接、本人にインタビューを申し込むことにした。
 今年、56歳になるヌノ氏。ドライバーばかりでなく、サッカー、テニス、バスケットなど、あらゆるスポーツマンの体力作りにアドバイザーとして協力する。その手腕の確かさはヌノ・マジックと呼ばれるほどで、現在でも多くの一流選手が彼のもとに通っている。セナもヌノ氏の力量を高く評価している1人で、2人はたんなるコーチとドライバーという関係以上の強いきずなで結ばれているという。
 インタビューが行われたのは、実際にセナがトレーニング場として使っているサンパウロ総合大学のグラウンド。ここはヌノ氏の母校(体育学部出身)であると同時に、ブラジルでもっとも環境の整ったスポーツ施設でもある。
 われわれの前に現れたヌノ氏は、背の高い温厚そうな紳士で、本人が名乗らなければ、世界最速の男を育てたトレーナーにはとても見えない。

 セナと出会ったのは、いつ頃のことですか?
ヌノ セナがはじめて私のところにやってきたのは、1984年1月のことでした。彼は、F3レースで30分しかもたない体を、F1の長丁場にも耐えられる体に造り変えてほしいといってきたのです。
 その頃、私はクラウディア・モンティという16歳の女の子を、テニスのブラジル・チャンピオンの座につけることに成功したのですが、たぶんセナはそれで私のことを知ったのでしょう。

 ‘82年までイギリスF3を走っていたセナは、翌年からウイリアムズのテスト・ドライバーとしてF1カーに乗り始めた。そして、‘84年にトールマンで本格的なF1デビューを飾ることになるのだが、その直前にヌノ氏のもとを訪ねたということになる。ここからセナとヌノ氏の、二人三脚による肉体改造計画がスタートした。
 30分しかもたない体を、2時間走れる体に変えるのは、よほどの覚悟がいると思われますが?
ヌノ まず、私はセナにこれからしようとすることは、決して生易しいことではないということを、きちんと理解させることから始めました。最初におこなった体力測定でセナの出した数値は、すべての点で平均以下といってもよく、脈拍数にいたっては81/分を越えていた。これは、とてもスポーツをやるような心臓ではありません。しかし、8年にわたるトレーニングを続けてきた結果、セナの脈拍数は50前後をキープするようになり、心臓の最大酸素摂取量(VO2MAX)も37mlから、現在は60mlにアップしています。これは他のスポーツ選手と比べても遜色のないものです。当時は4千mを走るのに20分切れなかったセナが、今では14分台で走れるようになったといったら、彼がどのくらい進歩したかわかっていただけるのではないでしょうか。私には私の方法でトレーニングを続ければ、誰でも体力面での強化がはかれるという自信があります。しかし、それをきちんと実行できる人はほんとうに少ないのです。
  引退した中嶋悟のトレーナーとして知られる東海大教授の田中誠一氏は、ヌノ氏のインタビューに次のような解説を加えている。
 「VO2とは1分間で空気中の酸素を、体力にどれだけ取り入れられるかを示す数値です。人間の体は酸素をためておくことができないので、F1では脳に間断なく酸素を送りこめるかどうかで勝負が決まります。  ちなみにセナの足ですが、片山右京が5千mを15分台で走ることを考えれば速いとはいえません。しかし、全身持久力がアップした分、持ち前の反射神経やドライビング・テクニックが生きるようになったのでしょう」

蹴上がりができなかったセナ

具体的には、どういったトレーニングを課したのですか?
ヌノ 心臓を強化するには、何といってもランニングが一番です。しかし、ただやみくもに走るだけでは意味がない。ほどよいスピードで、ほどよい距離を走るということが大切です。無理をしてもいけないし、無理をしなくてもいけないということです。セナがトレーニングを開始した頃は、約3ヵ月間にわたってほとんど毎日、3時間のランニングをさせました。だが、いくら効果的な練習だといっても、そんなに早く結果が出るものではありません。私はシーズンに入ってからもランニングを続けるよう指示し、10日に1回くらいは少しきつめの走りをさせました。
 セナはデビュー2戦目(南アフリカ)で、早くも初ポイントを獲得。以後、モナコGPで2位、ポルトガルGPで3位という好成績をあげた。一見、順調そうに見えるが、14レースのうち完走したのはわずかに6回だけ。
 ロータスに移籍した翌‘85年も、F1初勝利を含む2勝をあげながら、やはり完走は6回にとどまった。当時のセナは完走すればお立ち台だが、たいていは途中でリタイアという、典型的な壊し屋ドライバーだった。
 初期のセナは完走することが少ないレーサーでしたが、これも体力面の不安と関係があったのでしょうか?
ヌノ 一番の問題は車の状態だと思いますが、心肺機能の弱さもまったく影響がなかったとはいえないでしょう。しかし、最初の1年間でセナの肉体改造計画は、目を見張るような成果をあげました。もちろん短期間で成長したのは、セナだけではありません。私はそれまでドライバーのコーチを受け持ったことがなかったので、セナのトレーニングを通じていろいろなことを勉強させてもらいました。例えば、他のスポーツなら試合中でも選手の脈拍数は、せいぜい120から130止まりなのに、F1ドライバーは230に達することさえあります。もし、セナのトレーナーを引き受けなければ、こういった事実も知らないまま終わったかもしれません。
 3年目に突入したセナは安定度を増し、‘88年にマクラーレンと契約を交わすと、年間8勝の新記録でドライバーズ・チャンピオンに輝いた。ヌノ・マジックによる肉体改造の成果があらわれてきたのである。
 セナのトレーニングで、もっとも気をつかうのはどこでしょう?
ヌノ もっとも重要なのは、私がセナという人間をよく知っているということです。肉体というのは十人十色ですから、その人に合ったトレーニングでなければ効果はありません。また、単に体力や筋力だけではなく、セナの性格からおかれている状況まで考えに入れ、適切なトレーニング・メニューを組むように心掛けています。例えば、疲れているときは、その疲れをとることも練習だし、どこかケガをしたときは早く治すことも練習です。要はそのときどきで、一番効果のあるトレーニングを見つけることです。そして、もう一つ忘れていけないのが精神面でのトレーニングです。あそこに鉄棒がありますね。セナはあの鉄棒でよく蹴上がりの練習をやっています。べつに蹴上がりができたからといって、ドライバーにとって大したメリットはないでしょう。ひょっとしたら、セナ以外に蹴上がりのできるドライバーはいないかもしれないし、セナも最初は蹴上がりができませんでした。しかし、私はできないことに挑戦して、それができたときの精神的な満足感を得ることが大事だと考えています。蹴上がりができるようになったら、今度はもっと高くとか、もっときれいなフォームでとか、次の目標が自然に出てきます。そういったメンタルな部分でのトレーニングも、レースを勝ち抜く上でとても重要だということです。

2万uある自宅の庭で体を鍛える

 セナの肉体改造が成功した要因はどこにあると思いますか?
ヌノ それはセナが、自分の体をよく知っているということです。同じ10kmとランニングするにしても、嫌々やらされるのと、自発的にやるのでは、効果がまったく違います。今ではセナも自分の体が大好きであり、より素晴らしいものにしたくてしょうがないのです。だから、セナは長距離を走ることが苦にならないし、最近は走ることが楽しみにさえなっています。それはトレーナーとしての私を信頼しているというより、セナ自身が走ることの意味を正確につかんでいるからなのです。
  「トレーナーと競技者は、『この人がいうなら間違いない』という信頼関係を築くことから始まります。私も中嶋に『きみの体をこう変える』と説明しましたが、セナもトレーニングの内容を完全に理解していたのでしょう。
  これを意識性の原則といいますが、競技者が自分の体とトレーニングの理論を理解していないと、思ったような効果は期待できません。また、よいトレーナーとはすぐれた心理学者でもあり、理論をきちんと言語化できる能力も持っています」(田中教授)
 いまもセナは、あなたの作ったメニューで、体力づくりを続けているのでしょうか?
ヌノ ‘88年あたりまではシーズン中でも、セナはブラジルに帰ってくると、このサンパウロ総合大学のグラウンドでトレーニングをしていました。セナもここが大好きで走りながら、「あのコ、可愛いね。今度、紹介してよ」なんて、冗談をよく飛ばしたものです。しかし、ご存じのようにセナはサンパウロ郊外からアングラ・ドス・レイス(サンパウロから250km離れた高級リゾート地)に引っ越してしまい、現在はかつてのように頻繁にここへ通うことはできません。その代わり、彼は2万uもある家の敷地内を毎日ランニングしています。私たちが顔を合わせるのも10日に1回ほどに減ってしまいましたが、トレーニングが順調に行われているかどうかをチェックするだけで、メニューなどの日常的な指示は電話で十分。セナがここにやってくるときはヘリコプターを使いますが、私がアングラの家を訪ねるときは自動車を利用します(笑)。

11月にF1のシーズンが終わると、セナにとってはヌノ・コブロのシーズンが始まる。すでに数々の勲章を手に入れたセナだが、次のシーズンを最高のコンディションで迎えるための努力を欠かすことはできない。
人からうらやましがられる地位も、単なる幸運や才能だけで維持できるほど甘くはないということだろう。
 インタビューがすべて終わり、駐車場まで送ってくれたヌノ氏は、「実はさっきまでキミが座っていた席、あそこはセナお気に入りの指定席なんだ」と打ち明ける。案内されたときより、別れ際に聞かせるほうが効果的というヌノ・マジックが隠されていたわけだ。彼のような参謀がついているかぎり、今シーズンもセナの活躍はまず間違いない。