93年F1ワールド・チャンピオン、アラン・プロストが解明するふたつのドライビング・スタイル | |||||
F1大学が開校されるとしたら、名誉“教授”はもちろんアラン・プロストに決まっている。というわけで、『F1倶楽部』ではプロスト教授によるドライビング理論講座を誌上で実現した。豊富な経験をまじえながらの名講義に拝聴あれ。今回の講義のテーマはドライビング・スタイルである。 アラン・プロストによると、F1ドライバーのドライビング・スタイルは大きくふたつに分かれるという。それは、彼の表現するところの「マシンに荒っぽく乗るスタイル」と「マシンに優しく乗るスタイル」である。この彼の興味深いドライビング理論を知るために、恰好のテキストが出版されている。プロスト自身とドライバー出身のジャーナリスト、P・F・ルースロの共著による『F1グランプリの駆け引き』(二見書房刊)がそれだ。 セッティングからドライビング・テクニック、レースの駆け引きまでを綴った本書の中で、プロストは数人のF1ドライバーを例に挙げて、この2タイプのドライビング・スタイルについて語っている。本稿では、本書からその部分を抜粋して再構成した。 では、国際F1大学、名誉教授アラン・プロストの講義に耳を傾けていただこう。 【定 義】 ドライバーのなかにはマシンをよく壊す者がいる。しかも非常に熟練したドライバーで、マシンのセッティング能力が一流であるにもかかわらず、彼はしばしばマシンを大破してしまう。マシンを手荒く扱うのも、ひとつのドライビング・スタイルである。しかしスピードが同じであるならば、そういった荒っぽい乗り方をする方が、タイヤにもブレーキにも、ギヤボックスにもエンジンにも、そして燃費にも負担が大きくかかってくることはたしかだろう。レース全体を考えてみても、こうしたスタイルのドライバーと、マシンに優しいドライバーとでは違いが出てくるはずだと私は信じている。これが1シーズン、ましてやドライバー人生を通じてとなると、その差は計り知れないほどではないだろうか。 【コーナリング】 ジャック・ラフィット(元リジェ、ウイリアムズ・ホンダのドライバー)や私のように、早めにステアリングを切るドライバーは、ディフェンスにもオフェンスにも長けた、バランスのとれたドライビングをする。ただ、このスタイルではコーナー入口の進入はたやすくなるが、立ち上がりが滑りやすい場合に、曲がりきれずに直進してしまう可能性がある。 それに対して、ケケ・ロズベルグ(元ウイリアムズ・マクラーレンほか、1982年世界チャンピオン)やジル・ビルヌーブ(元フェラーリの伝説のドライバー、82年のベルギーGPで予選中に事故死)は、つねに危険と隣り合わせのドライブをやっていた。最近のドライバーではナイジェル・マンセルをこのなかに入れることができよう。彼らのスタイルでは、コーナーの入口から立ち上がりまで、路面グリップの変化にさほど影響されない。事実、彼らは、私やラフィットに比べれば、コーナーで不意をつかれることは、ほとんどないといっていい。 ここでちょっと解説を加えると、プロストとジャック・ラフィットが早めにステアリングを切るということは、スムーズに速く立ち上がることを重視してコーナーの進入では我慢せずに早めのタイミングでブレ−キングして曲がり始めるということ。これはオーソドックスなコーナリング手法で、走行ラインは典型的なアウト・イン・アウトになる。 その進入でアウトにはらんだマシンの内側に、ブレ−キングをぎりぎりまで我慢してマシンの鼻先を突っ込んで抜いてしまうのが、ロズベルグとビルヌーブのスタイル。ブレ−キングのタイミングが遅いということはそれだけ危険をともない、当然立ち上がりの加速は遅くなる。しかし、立ち上がりでのコースアウトの可能性は少なく、クリッピング・ポイントで走行ラインのイン側をふさぐことになるので抜かれることも少ない。 【コーナーにおける挙動】 私のドライビング・スタイルでは、コーナーへのターン・インではマシンはニュートラル、立ち上がりで加速する際にアンダーステア気味になるのが理想だ。その方がマシンにも負担が少ない。しかし実際にそうしたセッティングができることはじつに稀だ。いくら努力して調整しても、オーバーステア寸前のナーバスなマシンをドライブしなければならないこともある。しかしそれはそれで意外な効果を得られることもあるので、私も自らのドライビング・スタイルを捨ててそうしたマシンをあえてドライブすることもある。それはたとえば後方から追い上げてコーナーでも先行車を抜かなければならないようなときに有効だ。なぜならオーバーステアではブレ−キングを遅らせることができるうえに、アンダーステアのマシンとは異なったラインをとることができるからだ。だからといって最初に述べたハンドリングの方がより効果的であることに変わりはない。 講義というのは難しいものである。F1大学1年生のために、ここで再び解説。 突っ込み勝負型のドライバーは、コーナーへのターン・イン(進入)でステアリングを切るタイミングが遅いから、マシンの向きが変わりやすいように、リヤタイヤのグリップが弱くてフロント以上にスライドするオーバーステアを好む。つまり、オーバーステアならブレ−キングを遅らせるコーナリングを行いやすい。立ち上がり重視型はコーナー出口での加速が勝負なので、フロントよりもリヤタイヤがグリップしてマシンにパワーが伝わりやすいナチュラルなアンダーステアを好む。ただし前に述べられているように、フロントのグリップが弱いから路面状態によってはアウト側に流れやすく、コースアウトの可能性もある。 【雨中でのドライビング】 私と攻撃的なロズベルグのスタイルの違いがもっとも際立つのが、雨中のドライビングであり、ウエットの厳しい状況下では、私はつねにできるだけ“繊細に”走ることを心掛ける。つまり私は、エンジンのパワーと路面の状態を考慮して、マシンをもっとも効率よくドライブしようと考える。そしてコーナーでは、できるだけ丸く軌道をとろうとする。 いっぽうロズベルグは私とはまったく違う。誇張ではなくこれは本当の話だが、毎周彼は4本のタイヤをロックさせながらコーナーに入ってくる。そして入口でマシンを横に向けると、そのままタイヤを滑らせて、後輪が縁石を越える寸前まで踏ん張ると、猛然と加速するのだ!これは掛け値なしにエキサイティングで、私もつい見とれてしまうほどに物凄い。そしてコーナーにおいては、彼の方がおそらく私よりコンマ数秒速かったはずだ。しかし1周トータルで比べてみると、彼が私よりも速いとはけっして言えなかった。 【セッティングに対する姿勢】 ケケ・ロズベルグやジル・ビルヌーブといったいわゆる破滅型のドライバーたちがマシンを操るのを私は永年見てきた。彼らは私が実際には知らないテクニックや、ほとんど例外的にしか使ったことのない操作法を、数多く用いていた。 彼らのドライビングは、マシンやセッティングなどおかまいなしに勇猛果敢に突進していくタイプである。これに対しては私は、自分が施したセッティングに合わせてドライブし、そこで得たデータをもとに、さらにマシンを調整していく。だが彼らにとってはセッティングも、またマシンの動き方も、それほど気にかける問題ではないらしい。彼らのやることは、たとえどんなマシンに乗ろうとも変わらない。それが彼らのスタイルであり、生き方なのだ。 【セッティング】 私がケケ・ロズベルグとチームメイトだったころ、我々のドライビング・スタイルは、まったくといっていいほど異なっていたため、私たちのセッティング方法も根本から違っていた。しかしその違いは、空力的なことよりも、おもにメカニカルな差だった。 私の場合は、フロントをリヤよりも硬めにセッティングするのが好みだった。するとマシンはアンダーステア気味になるため、中速コーナーではあまり効率的とはいえない。ところがコーナーの出口ではトラクションと安定性が得られる。その方がタイヤの消耗も少なくてすみ、リヤタイヤも長持ちした。ところがケケは、コーナーへの進入で、マシンの限界ギリギリまで攻めるタイプなので、フロントをソフトに、リヤを硬めにセットするのが好きだった。彼のセッティングは、モナコのようなコースでは、大きな威力を発揮した。彼がストリートコースを得意にした理由のひとつがここにある。 【軍 配】 ロズベルグのようなドライバーが、私のスタイルを真似することはまずありえない。しかし私は、時と場合によっては、彼のスタイルでドライブすることもある。もちろんいつでもというわけではないが、この柔軟性こそが私のメリットであると確信している。 ただし観客の立場からすれば、どちらが面白いかは私にもわかっている。 彼らはつねに、エキサイティングで派手なドライブを好むからだ。この両極端なふたつのタイプのどちらが優れているかは評価の分かれるところだ。しかし私自信は、ミスを冒しにくいという観点から、私のスタイルの方がシーズンを通して考えると速いし、勝っていると思っている。そしてここだけの話だがじつは内心では絶対の自信を持っている。しかしドライバーたちは現在でも多かれ少なかれどちらかのドライビング・スタイルをとっており、それぞれが自分に見合った正しいスタイルだと考えている以上、やはり私の個人的意見はちょっと控えるべきかもしれない。 以上で講義は終了です。 最後に自分でも言いわけ気味に語っているように、エキサイトすることのない“プロフェッサー”のドライビングは、たしかに人気はないようだ。とはいえ、レースの最終目標は勝利であって、4度チャンピオンに輝いたプロストが正しいことに異論をはさむ余地はこれまた少しもない。引退を表明したいま、プロスト嫌いの人でもこだわりなしに彼の偉大さを評価できるのではないだろうか。
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