F1ドライバーの条件(ヘルベルト・フェルカーのインタビューに答えて)

フェルカー:ぼくらはきみのことを昔からよく知っているが、それでもひとつだけどうしても解けない謎がある。F2当時乗る車がなくなりそうになって2000万円の借金をして切り抜けたことがあったろう。何とも素晴らしい度胸だといまだに語り草になっているが、おそらくきみ自身はその時既に自分が一流ドライバーに絶対ひけをとらない腕を持っていることを自覚していたに違いない。それでなきゃこんな巨額の借金が単に勇気だけでできるはずがないと思う。だが不思議なのは、きみはそれ以前に一流ドライバーに伍して走り、自分の腕の程をたしかめるチャンスにめぐり会ってないはずなんだ。たとえばチームメートにジャッキー・スチュアートがいて、同じ車でレースに出たというような経験があれば別だ。そういう事実はなかった。となるときみの自信はいったいどこから生まれたのか。
ラウダ:たった一回だけど決定的なチャンスがあって、それで自信がついたんだ。71年にマーチF2でレースに出た時に、ロニー・ぺターソンもぼくと同じ仕様の車で出場した。彼は天才的な新人と騒がれてその速さは定評があった。一方ぼくはその年いっぱいでスポンサーが手を引くと言い出し、つらい立場だった。2000万円の借金に応ずれば翌年も続けてやろう、ノーなら降りろというわけだ。決心をつけかねているうちにルーアンのレースが近づいた。そして忘れもしない、ロニーとせり合って、タイトコーナーの手前で彼よりわずか遅くブレーキをかけて先にコーナーに入るのに成功した。これがさっき言った決定的瞬間だ。腕くらべしてロニーに勝ったんだ。ただし、次の周でスピードを落せと指示されて一瞬ひるんだすきにまたぬき返されたが、それはどうでもよかった。厳密に考えるとぼくが腕だけで勝ったと言い切れない要素もなくはなかった。同じ車ではあってもロニーのウイング調整が最適角度でなかったらしいのだ。だから手放しで喜んではいけないこともわかっていた。でもいつもロニーと同じ車で走るときまってむこうの方が速かったから、ぼくとしては必死で考えざるを得なかったんだ。たったの0.6秒差、ロニーはどこでどうやってそれをはじき出すのか。考えた挙句にぼくは頭で答を見つけてその通り走り成功したというわけだ。だが同条件で同タイムと言っても、悲しいかなロニーはいつも好調のエンジンをもらうけど、当方は戦争直後にジム・クラークが使ったことがあるという血統書以外何の取柄もないぼろエンジンしかもらえなくて、どう頑張ってもラップタイムはロニーに3秒差をつけられていたんだ。
フェルカー:つまりきみはブレーキでぺターソンを負かしたたった1回の経験から、あと自分に必要なのはよい車にめぐり会うチャンスだけだと断定した。
ラウダ:そうだ。そしてともかくロニーから彼一流のつなわたり的テクニックをじつに多く学んだ。常に限界で走り、おそれずに冒険して0.1秒を切りつめるやり方を教わって身につけ、遂にロニーと同等のタイムに漕ぎつけたが、同時によい車に乗らなければ折角の腕も生かされないこともわかった。
フェルカー:F2当時にロニーに負けない自信を持った。今F1で同じ自信を持っているか。つまり自分より速いドライバーはいないという自信だ。
ラウダ:ぼくは車をあやつるテクニックを知っていて、どんな車でもそれを全力で走らせることができる。全力で走らせるということは、誰が運転してももうそれ以上速く走れないことを意味する。
フェルカー:言いかえれば誰よりも速くということだ。
ラウダ:いや、違うんだな。本当のトップ・ドライバーなら誰でもその速さで走れるんだ。だいたいコース上にはラインがひとつしかなくて、それを僅かに踏みはずすことはできても、大幅にそれてしまったらベストタイムは覚つかないと思わなきゃいけない。ガードレールの横をすりぬける時、ガードレールにあと数センチまではドリフトして近づいてもいいが、それ以上近寄ったらだめだ。ブレーキで相手をぬく時もある限界を超えたらおしまいだ。したがって、自分と全く同じ車に乗っている非の打ちどころのないドライバーをぬくことは不可能なんだ。彼が全力で走っている限りね。こういう完璧なドライブができる最優秀ドライバーを6人揃えたとすると、車に差がない限り6台の速さは同じというわけだ。
フェルカー:すると6人に差がつくか否かは、車の性能や調子に差があるか、もしくは本人の能力の限界を発揮できるかどうかが鍵になる。
ラウダ:その通り。
フェルカー:ところできみは自分の車をコースに合わせてベストセッティングに持って行く技術にどのくらいの自信があるのか。誰にも負けないと言い切れるか。
ラウダ:だめだね。でも真剣に取り組んで全力を傾けてベストに持っていくことはいつもやっている。
フェルカー:きみは1971年にぺターソンを物指しにして自分のすぐれた技量を確認した。ではレースを始めた頃はどうだった。将来一流ドライバーになれると思っていたかな。
ラウダ:残念ながらノーだな。その頃は目の前のレースの成績に目標をたてて、それを達成するのに夢中だっただけだ。マウンテン・レースに出たことがあって、ぼくの出場するクラスにはレミー・ホファーがいた。ぼくの目標はクラス制覇だったから、当然彼に勝たなけりゃだめだ。負けるくらいなら出ない方がましだと本当にそう思っていた。余計なことは考えなかったな。
フェルカー:こういう話を聞いたことがあるだろう。インドにもフィッティパルディなみの才能を持った男が30人ぐらいはいる。ただレースに出ようなんて夢にも思ったことがないだけだというんだ。
ラウダ:カラヤンの卵だって何百人もいるんだろうな。鉱山で穴を掘ってるカラヤンもいるんだろうね。しかし誰だろうといくら素質があろうとその道に入って才能に磨きをかけなければ成功はできない。フィッティパルディもブラジルから英国に渡るまでずい分苦労して、でもそれをやり遂げてレースのスターになった。フィッティパルディが有名になると、今度はブラジルにはもっと速いパーチェというドライバーがいるっていうんだな。パーチェがゴーカートに熱中したままで、ロータス・チームがヨッヘンとフィッティで何とかやっていけたら、それはそれですんだろう。でもパーチェがほんとのレーサーに乗る気になって英国にやって来たから、それでパーチェの道が開けたわけだ。パーチェがフィッティと同じくらい速いこともその時点ではっきりした。でもパーチェはフィッティより速くはなかった。なぜかというと、フィッティより速く走ることは人間にはもうできないからだったのさ。レーシングドライバーにとって速く走れることは必要条件だが、十分条件ではないんだ。乗ってる車がいつも悪い車だったり、馬鹿なミスをしょっちゅう繰り返していたら、いくらスピードの才能があっても早晩国際レースから脱落する破目になる。
フェルカー:きみの理論からすると、きみが長い間BRMに籍を置いてルイス・スタンレーとつき合っていたのは間違いだったと言えないか。
ラウダ:こればかりはどうしようもなかった。その年ぼくが期待していたスポンサーの資金援助が打ち切られてしまい、スタンレーはこう言うんだ。長期契約にサインするか、それとも今すぐスポンサーから金をとる約束をとりつけてくるか、ふたつにひとつだってね。それがぼくがフェラーリに行くきっかけになった。スタンレーには気の毒だと思ったけど、スタンレー自身既にBRMとうまくやって行けなくなりつつあることはぼくも知っていた。でもフェラーリに移るのもなかなか決心がつかなかった。フェラーリもBRM同様暗礁に乗り上げていたからだが、しかしBRMよりはるかに見込がありそうだった。BRMは絶望的だったな。ずい分考えたけど、この時はすべてが賭けで何ひとつ確かな見通しがなくて悩みぬいたよ。
フェルカー:勇敢なるラウダの判断がよい結果を生んでよかったな。話を元に戻すが、さきほどの“限界走行”だが、これができるドライバーは4、5人か、あるいはもっと多いか。
ラウダ:これも経験が必要だから、少なくともF1を2年やらないと車の全力走行はできない。それもいいF1で2年だな。F1のしかもいい車に乗れるには余程速く走れないとだめだけど、才能だけ言うんなら現在F1で全力走行できる人はもっとたくさんいる。でもやはり才能オンリーでは足りないものがある。
フェルカー:するときみはレーシングスクールで運転技術を教わる実地教育を余り高く評価していないのか。
ラウダ:あれは無駄だと思うよ。レースに出ないで何が身につくだろうか。無論レーシングスクールに行けば基礎は身につくが、問題はそのあとで、そこから先は自分の手で切り開くしかない。
フェルカー:ところできみは今忙しいのか。
ラウダ:うん。
フェルカー:きみが誰かの指図で動くわけがない、とすると自分で何かやろうとしているのか。
ラウダ:今はもっぱら金稼ぎというところだな。サイン会によく出るんだけど、重労働で疲れるけれどもスポンサーから受け取る報酬額の高いのも事実なんだ。もっとも売れて金になるようになったのはごく最近だけど。
フェルカー:レースをやる上できみにとっていちばん大事なのは金か。
ラウダ:いちばんではないが大事だね。
フェルカー:もしきみの年間収入がそう、500万円しかないとする。ドライバーをやめれば1000万円の就職口があるとしたらどうする。
ラウダ:何とも言えない。ぼくがレーシングドライバーになり始めの頃は、金は別に大事でも何でもなかった。ぼくを誘惑したのは車の魅力だった。それは今も変らないし、車から離れた仕事は考えられない。たしかにレースは危ない仕事だが同時によい収入にもなる。それで満足だな。
フェルカー:きみが1時間サイン会をやるとそこらへんの重役さんがひと月かかって稼いだのと同じお金が手に入る。少し高過ぎると思ったことはないか。サイン会にはレースのような危険は何もないのだし。
ラウダ:社会がそういう仕組みになっているんで、ぼくがつり上げてるわけじゃない。もしぼく自身に値打がなければ誰も寄りつかないはずだ。それにぼくの趣味からすれば5時間汗水たらして5分の1の金をもらうより、サイン会1時間でがっぽりいただく方がずっとスマートだと思うな。
フェルカー:つまりきみは収入の分だけせっせと働いている。それでいつも忙しい。サイン会もそうだが、これじゃゆっくりくつろぐひまがないだろう。ただでさえレースで神経をすり減らしているのに、大丈夫かな。夜悪い夢を見たりしないのか。
ラウダ:緊張し過ぎて眠れないこともあるにはある。
フェルカー:そんな時どうする。
ラウダ:なぜ緊張しているのかを冷静に考えるしかない。昔はそれができなくて、レースが終るとすぐ次のレースのことをあれこれ考え出して、そのうち疲れて寝てしまった。今は休む時と考える時とをはっきり区別するようになった。
フェルカー:それはうんと忙しい人なら慣れるにしたがって誰でも身につける一種のコツだ。ぼくがきいているのはそうじゃなくて、非常に厄介な事態にぶつかった時に誰でも多少頭がおかしくなったりするだろ、その点はどうなんだ。
ラウダ:少しあったかな。
フェルカー:1975年のバルセロナ・グランプリ、76年のニュルブルクリング、きみはこのふたつのレースですんでのところで命を失いかけた。おそろしい思い出だったろう。こういういやな記憶はしばらくの間どう振り払おうとしても頭から離れないものだ。
ラウダ:こわかったよ。あの事故の怖ろしさは非常にこたえた。でもぼく自身のその後の行動にまでは影響しなかった。事故のショックで精神的にだめになるなんてことを自分に対して許せないし、あとあと不安になったりくよくよしたりするのも全部自分から遠ざけたんだ。
フェルカー:人間が恐怖感を簡単に取り除けるのだろうか。
ラウダ:意志の力が強ければね。意志の強さとそれから強情さも鍛えられると強くなるものだ。
フェルカー:強情さか。強情な人は世間のほんの一部だと思っていたが。
ラウダ:あなただって強情さを持っていて、鍛錬して強化することができる。ぼくなんかその気になれば、世界にふたりといない意地っ張りでガリガリのエゴイストにすぐなってみせられる。
フェルカー:強情というか信念というか、盲蛇に怖じずといった方がいいのか、きみたちレーシングドライバーにはそれが必要なのかな。現在も過去も一流ドライバーはみんなそうか。
ラウダ:みんなそうだ。でなけりゃ大事故を起したあと続けてレースができるわけがない。普通だったら気狂い沙汰は御免だと言ってやめるものなのに平気で続けるんだから。なぜ俺はレースドライバーなのか、なぜレースが存在するのかって考え出したらおしまいだな。
フェルカー:きみは少なくとも考えなかった。
ラウダ:レースをやめた人は考えたんだと思うよ。でもぼくを含めてレースに出ている人はまだなんだ。現役ドライバーである限り、考えてはいけないことだな。でもドライバーになる時は考えるものなんだ。本当に自分がレーシングドライバーになるんだな、なってから後悔しないな、危険も承知の上だなって、自問自答の結果イエスと出たらそれで問題は片づいた。もう何も怖いものはなし。そこで嘘ついてイエスと言ったのなら別だけど。
フェルカー:きみは平気だとして、平気でないドライバーはいないのか。
ラウダ:いない。いても震えたり冷汗流したり夜眠れなかったりしたら成績がたちまち落ちるからね。
フェルカー:レースを始めたばかりの若者と今ぼくらがしているむつかしい話をしようと思っても、若過ぎて人生経験に乏しいので無理だ。きみもおそらく18歳の時はなるべきか否かなんて考えないで、ともかくレーサーに乗りたくて夢中で頭が一杯だったに違いないんだ。なるべきかならざるべきかと本当に自分に向かって確認したのか。したとすればいつだか言えるか。
ラウダ:もちろん。1970年9月5日さ。ヨッヘン・リントが死んだ日だからはっきり憶えている。
フェルカー:きみの自問自答とリントとどんな関係があるのか。
ラウダ:直接には何もない。たまたまその日にリントの事故があっただけで、肝心のぼくはゾルダーで自分と禅問答をやっていた。リントはモンザで死んだから離れていたんだ。
フェルカー:それで。
ラウダ:F3のレースに出てその年にぼくは4回事故を起した。F3は何しろめちゃくちゃだったな。ワンレースに25人が出場するんだが、それがみんな同じくらい速くてしかも道を譲ってやるような謙遜な男はひとりもいない。全部がひとかたまりのダンゴになって200キロで丘にかけ登り、頂上でいっせいに離陸して空中に浮くんだからね。ウイーンのプラター遊園地にある電気自動車のぶつけっこを知ってるだろ。あれと同じだ。だからF3は正気じゃできないし、ぼくも正気じゃなかった。仲間のパンクルとふたりでF3をのせたトレーラーを2日がかりで南フランスまで引っ張って行く。ノガロのレース場に着いてみると、出場者は精神異常のフランス人が30人、プラスわれわれオーストリアからの外人2人だ。プラクティス第1日目、パンクルのスリップストリームにうまく入ってしばらく引っ張ってもらい、勢いのついたところで抜け出して彼を追い越そうとした。ところがどうしたのかその瞬間にパンクルのエンジンがとまりかけたんだな。ぼくの車は彼の車につまずいて左前輪が彼の右後輪にぶつかり、空中を飛んでガードレールのそばに落ちた。コースのわきにひとりマーシャルがいたが、その上を飛んだので彼は無事だった。落ちてから100メートル近く滑走したから、とまった時は胴体にはほとんど何もついてなかった。これはぼくのF3レース初出場でしかも第1日のプラクティス開始後わずか5分だ。
フェルカー:あとあとうなされたりしなかったか。
ラウダ:その年のあと3回の事故でぼくは毎回空中を飛んだから、夢に空飛ぶ幽霊ぐらい出て来ても不思議じゃなかったと言えばわかるだろ。さてぼくらは南フランスからウイーンに大急ぎで戻ってマクナマラのニューシャシーを持ってきて新車をつくり上げ、急遽ニュルブルクリングへ駆けつけた。レースでは5位を単独で走っていた。前にも後にも敵影を見ず、という状況でまたコースを飛び出した。理由は今もって不明だな。ともかくそういう結果になり、これが2回目のF3レースであり、2回目の事故だった。次は再び2日間のドライブで南フランス行き。チェンジを間違えてシフトアップがシフトダウンになり、エンジンもギヤボックスも一巻の終りだ。次がブランズハッチ。レースの前にカメラマンのロッテンシュタイナーが写真をとるのにどこのカーブがいいかなと聞くから、教えてやって、ついでにそこで必ず誰か飛び出すからあとで写真くれってピットの前で冗談を言ってた。ところがレースでぼくが競争相手を内側から抜こうとしてブレーキをかけながら回り込んだら後輪を蹴とばされてまた空へ舞い上がり、落ちたのがちょうどロッテンシュタイナーのまん前だった。笑うに笑えず、車は大破しちまった。その次がいよいよ9月初めのゾルダ−だ。
フェルカー:すごい事故だったのか。
ラウダ:まあ想像を絶するね。3周目にハンネローレ・ヴェルナーがコース上で事故を起した。ぼくらのグループが210キロで急坂を登り切って前方視界が開けたら何と、コースの真中をヴェルナーを救出に行くレッカー車が50キロで悠々と走っているのを発見した。先頭の3台はスキッドしながら何とかレッカー車の右側をすり抜けようとした。ハントとビレルはうまくやったが、あとのひとりはスピンしてしまった。ぼくは左側を抜けようとしたが、同じく左側へよけてスピンしてしまった車にはねとばされて右へ滑って停止した。そこへまた別の車がまともに突っ込んできた。手足をもがれた車にじっと坐ってコースの中央で息をひそめていると、たちまち後続グループが坂を駆け登ってきた。既にイエローフラッグが振られていたし、あらゆる手段で危険を知らせていたのに、アクセルを弛めないんだ。ぼくはとび切りの特等席で第一撃がどっちから来るかをじっと見ていた。1台がぼくの鼻先をかすめてすっ飛んで行ったが他には何も起きなかった。さあ、それから車を降りて必死で走って逃げたね。
フェルカー:そんな怖ろしいことは二度とあるまい。
ラウダ:そう。これが恐怖のシーズンのクライマックスだった。それが過ぎたあと、ぼくはつくづく考えて結論に到達した。レースは続けたい、しかし25人の気狂いと一緒にこっちも気狂いになるのはいやだとね。それでF3はきっぱりやめてしまった。そうなるとF2に何としてでも出場しなければいけないので、そこに努力を集中する決心をした。
フェルカー:きみの現在を思うと、その決心が正しかったわけだ。
ラウダ:レースの種類の選択ということならね。ぼくは別にレースから逃げ出したわけじゃないから、その後もレーシングドライバーたる上で何の疑問も持たず、自分のスピードの才能を限界まで高められる可能性についても疑いをさしはさんだ覚えはない。そうあり続けるためには恐怖を忘れてしまうのが最もいい。例えばエステルライヒリングにボッシュカーブがある。その手前で車は280キロに達して、ブレーキをかけながらガードレールの数センチ横をかすめて通る。もしタイヤがバーストしたら、もしブレーキがこわれたらなどとちらっとでも考えたらだめで、そうしたら絶対勝てない。まあ精神統一できるまでレースに出ない方がいい。恐怖感にとらわれたが最後洪水のような悩みに流され、つぶされてしまう。
フェルカー:きみは悩まされないのか。
ラウダ:とうの昔に恐怖とおさらばしたからね。こわいから10メートル手前でブレーキを踏むような真似は絶対しない。
フェルカー:怖さ知らずになる秘訣があるのか。たとえば精神修養とか。
ラウダ:何も。ただ頭を切り換えるだけだ。頭の中のスイッチを切る。パチン。それでスーパーマンじゃないがレーシングドライバーになれるんだ。感情を切ってしまったドライバーだから怖さは感じない。運転してもこわくないから平気なんだ。実は困るのはスイッチを戻す時で、急に元の人間に戻ろうとしてもそうは行かない。
フェルカー:どのくらい時間がかかる。
ラウダ:ぼくはそれでも他のドライバーより早く戻るらしい。それでも戻り切るまでの間にふだんやらないようなことをしてしまうのが困る。たいていがレースの熱狂した雰囲気で興奮状態になった人とのトラブルだ。カナダでコースから飛び出した時にびっくりしたマーシャルが「マスタースイッチ、マスタースイッチ」と叫ぶんだ。もちろん彼はぼくにスイッチを切れと呼びかけていたわけだ。ぼくは冷静だったので、ヘルメットを先にとりたいと普通に話しかけたら、聞こえなかったのかいきなり車にとびついて消火器のスイッチをひねった。車は真白になる。ぼくはかっとなってヘルメットで彼をひっぱたいてしまった。ふだんのぼくならそんな乱暴はしないよ、誓ってもいいくらいだ。あのマーシャルにはすまなかったと思っているが、要するにこの時のぼく自身は頭のスイッチがまだ戻ってなかったんだ。アルゼンチン・グランプリでも似たような一件があって、ぼくがマリエラとドライバーのミーティングルームから出て来たらいきなりぼくの体に手をかけて、ぐいっと引いて写真をとらせろって言うから、ぶんなぐっちまった。
フェルカー:さっきの恐怖のシーズンに話を戻すけど、きみは狂気のドライブに参加して、奇跡的にも生還した。その間何かのきっかけで眼が覚めて正常の精神状態に逆戻りした。それは何なんだ。
ラウダ:ああいった事故はどんなドライバーにも有益な経験になる。そして事故から何かを学び取るか否かが重大なわかれ目になる。5年前にF3レースで危うく命拾いしたのに、まだF3で走っていて、しかもしょっちゅう事故を起している人がいるのは驚きだ。
フェルカー:きみは少年達の憧れの的には違いないが、グランプリの英雄にしびれるのは大人も同じだ。きみは自己に忠実であればそれでいいと思うか、それともファンの憧れを満たす立派なヒーローとして振舞うことが自分の社会的義務だと思うことはないか。
ラウダ:模範的英雄になる気はないな。ぼくには過去にそんなものはなかったよ。誰にでもなきゃいけないもんでもない。ぼくはラウダとして精一杯走れるだけで、さか立ちしてもリントやスチュアートの真似はできない。他人の猿真似をしてお金をもらうなんて冗談じゃないと言いたいな。だから架空の英雄を演技するのもできない。
フェルカー:しかし現実にきみはショーウインドーの中に立ってるのと同じで、全国民がきみを見ている。その点は自覚しているね。
ラウダ:最小限行儀の悪いことはしていない。ぼくはそういう雰囲気に育ったから、特に努力しなくても行儀よくしていられる。大騒ぎしたり酔っ払ったりもしない。騒がしいのが嫌いだし、アルコールは滅多に口にしないから。モナコでグレース王妃の手にキスしたらジャーナリストがうるさいことを言ってたけど、ぼくは何とも思わなかった。子供の頃からそういうしつけを受けて来たから当り前のことなんで、何もおかしくも珍しくもないさ。
フェルカー:大事に育てられると、ある意味でハンディキャップを背負うことにならないか。経済的に豊か過ぎる家庭環境では、子供が柔弱になる傾向はないのか。
ラウダ:子供の頃はたしかにそうだった。それほど寒くなくてもいつも首にスカーフを巻いてコートを着せられて、頭にはオーストリア風ハットだった。弟とお揃いだったから、かなり人目を惹いたろうと思う。今でもはっきり覚えているけど、11か12の時だ。矯正のためにいつものように歯医者に連れて行かれた。帰りに目抜き通りのかどの停留所で母と市電を待っていた。ぼくはじっとマンホールを見ていた。車がその上を通る度にカタンカタンと鳴っていた。ただ何回思い出しても気になるのは、立ってる自分の姿に男らしさがなくてね、女々しい子供の感じでいやなんだな。
フェルカー:それが何でこうなったのかな。
ラウダ:すべては車好きのなせるわざなんだ。15の時に49年型のフォルクスワーゲンを買って、庭の中で前進と後進の練習をやった。ボディーのペンキを塗り直し、エンジンを分解し、両親のワゴンにロープで引っ張ってもらって私道を走ることを覚えた。ただ走ってもつまらないからって、わざわざ土を盛って乗り越したり、あらゆる工夫をして遊んだ。ワーゲンをいじるのにお小遣いでは足りなくなって、とうとう学校の休みの日にトラックの助手をやることにした。16だったけど、運転手はたまにぼくにハンドルを握らせてくれてね、そのせいでぼくはいまだにトラックに憧れがあって、いつかは一台大きいのを買いたいと思ってるくらいだ。このアルバイトはたいへんだった。朝一時半に起きなきゃならない。それまで甘やかされてた子が、途端にしゃきっとなったわけさ。
フェルカー:ひょっとしてワーゲンで土の山を乗り越える時に、いまに世界チャンピオンになってやろうと思ったりしたんじゃないのか。その時がえーと、1964年だから、サーティースがチャンピオンになった年だ。山を乗り越す自分の姿をサーティースになぞらえて得意になったりしなかったか。
ラウダ:ラウダが得意になっただけだった。遠い将来チャンピオンになろうと考えたことは一度もない。ぼくは次に何をすべきか以外頭にない性格でね。当時の大問題は免許をとることで、それで頭が一杯だった。あと3年でとれるぞとね。
フェルカー:きみにはアイドルがなかったというけれど、チャンピオンになったサーティースに対して全く無感動ということはなかったろう。
ラウダ:おじが一度ニュルブルクリングに連れてってくれて、サーティースを見たけど、もう頭が白くなりかけていたことしか覚えていない。
フェルカー:当時いちばん長くチャンピオンの座にとどまっていたのはジム・クラークだ。クラークについての憶い出は。
ラウダ:68年のイースターに、ウイーンの近くのアスパンでレースを見ていた。フランク・ガードナーがロータス・コルチナで優勝したんだけど、アナウンスがジム・クラークがホッケンハイムで事故死したのを告げた。ぼくはとても悲しかった。クラークその人を悼んだわけではなくて、何というか、突然往ってしまったこと、しかも怪我して去って行ったことが非常にさびしかった。
フェルカー:リントが死んだ時も同じだったか。
ラウダ:リントの時はただもう胸が一杯になった。
フェルカー:さっきの話だと、リントが死んだのはきみがゾルダーでクラッシュしたその日だった。そんなことが重なったら、いや気がさしてやめてしまう人は大勢いる。
ラウダ:だからこそぼくも考え込んでしまった。そして過ぎたことをくよくよするのは一切やめることにした。
フェルカー:リントはきみとうんと親しかったの。
ラウダ:そう。でもぼくはリントのことをほんとによく知ってたわけじゃないんだ。正直言うと会ったのは数回だけ。でも今でも彼の写真をまともに見られない。頭がよくて、それなのに親しみやすく、何か特別の雰囲気を持っていてぼくにはそれがとてもよくわかった。
フェルカー:もしかすると、現在のきみよりリントの方が幅広い人気があったかも知れない。
ラウダ:それはぼくにはわからない。比較する方法がないからね。彼の生存中のことはどっちにしてもはっきり言えない気がする。だから答えは勘弁してもらうけど、事故死してから世界チャンピオンになるってことが、まさにリントでなければできない芸当だと思うし、彼の素晴らしさを物語るものだ。
フェルカー:有名になるということは、同時に厄介な問題をたくさん抱え込まなきゃならないことでもあるという事実をきみも充分悟っていると思う。有名人は特別待遇を与えられて、多くの人の賞賛と羨望の的になるかわり、常に衆人環視の中に身をさらして、プライバシーをもぎ取られる結果になる。きみの場合はどうなんだ。
ラウダ:みんなの行列に入ってじっと順番を待つには我慢が必要だけど、その点ぼくは得してると思う。だいたい我慢できる性分じゃないから行列に割り込んで怒鳴られるのが落ちなんだけど、それが赤いじゅうたんを敷いた道路を案内されてさあどうぞと言われるんだから、こんな有難い待遇はない。時にはラウダだけ特別扱いはけしからんとわめく人もいるが、頼まなくてもそうしてくれるんだからしかたがない。ぼくだって順番を待つルールを知らないわけじゃない。要はすべてレースに勝つかどうかで違ってくるんだ。いつも負け続けのニキ・ラウダがたまに優勝したぐらいだったら、勝つのは悪くないものだ、ですんでしまうけど、3回優勝したらさあたいへん。みんななだれを打つように道を開けてくれる。有名になって困る方から言うと、事のいきさつに関係なくすぐラウダは威張ってると言われることかな。冷静に考えてくれれば、ぼくが神経をすり減らしているだけだとすぐわかるはずなんだ。レースの前のプラクティスに全力を集中しようとする矢先に、サインだの、くだらん質問だので悩まされる。自分ひとりで放って置いてもらいたいのに。激しいプラクティス走行を終って心身共にくたくたになり、一刻も早くひっくり返って休みたい一心で夕方ホテルにたどり着くと、30人ものファンが待ち受けて入れてくれない。サインするまではひとのからだにしがみついて離さないんだ。いちばんひどかったのはモンテカルロだな。あそこに行くとレースが終っても閉所恐怖症が直らなくなる。フェラーリのピットは左右両側が鉄の柵なんだけど、そこに気狂いみたいに興奮したイタリアの若者が詰めかけていてね、彼等の唯一の望みはぼくと握手するか、体に触るか、引っ張るかすることなんだ。ちょっとでも気を許したらばらばらにされるぐらいじゃすまない雰囲気だから、体を突っつき回されるぐらいですめばいい方だ。帽子なんかあっという間にとられてしまう。帽子そのものが惜しいわけじゃなくて、帽子を欲しがる人にはいくつでもあげるけど、問題は頭に手をかけて乱暴にもぎ取ることなんだ。失敬にも程があると思わないか。誰に一体そんな無礼をはたらく権利があるんだろう。人気スターの記念品として持って行くんだろうが、暴行であり、盗みであることに変りはない。モナコでは結局逃げるしかなくて、メカニックがぼくをバンの中に押し込んで連れ出してくれた。
フェルカー:きみと一緒にモデナからオーストリアへ帰る途中、インスブルックでお茶を飲んだことがあったらね。夜中の11時に車をとめて店へ入って行ったら、みんながいっせいに拍手した。とても感動的な場面だったけど、ああいうことも気に触るのか。
ラウダ:いやだね。コーヒーを飲んでくつろごうとしているのに駄目になっちゃうんだから。みなさん有り難うと言うのも馬鹿げてる。すべてぼくの意志に反したことだ。コーヒーが欲しいんで、盛大な拍手が欲しいんじゃない。おまけにぼくをじろじろ見て、何か挨拶しないかと待ってる。ぼくは挨拶するために生きてるんじゃないことがどうしてわからないんだろう。
フェルカー:すると拍手されても気持よくないのか。
ラウダ:迷惑なんだ。
フェルカー:昔はそんな風に思わなかったろ。
ラウダ:昔は嬉しかった。「あ、ラウダだな」なんて言われて喜んだものだ。でもはじめのうちだけで、すぐにそっとしておいてくれと思うようになった。別にえらぶってそう思うわけじゃなく、騒ぎがわずらわしくなるんだ。いつもいつも大勢に取り囲まれてると自分だけの時間がなくなって、そのうち正常な人間ではなくなってくる。ジャーナリストとのつき合いも同じだ。F3のドライバーの頃は新聞に名前が出ると嬉しかったけど、今はもう慣れっこになって何とも感じなくなった。今新聞を読むのは逆にぼくを不当に扱った記事とか、根も葉もない嘘の話だのを自己防衛上チェックするためなんだけど、それを見つけたところで何もできないからね。被害をこうむりっぱなしさ。
フェルカー:何か具体的に説明してくれないか。
ラウダ:ニュルブルクリングのテレビ番組はひどかった。レースの前の晩にテレビを見ていたら、ぼくのことを未熟なドライバーだと言ってるんでびっくりした。ニュルブルのコースはラウダにとって少しむつかしすぎませんかと言ってた。ぼくの運転技術を分析してどうこうじゃなく、ただ一種の臆病者扱いをしてるんだ。その番組を見ている人が何万人もいるのに、ぼくは何もなすすべなく、黙って坐って画面を見ているしかないんだ。そのあと1976年にニュルブルで例の事故を起した。ぼくが病院にかつぎ込まれたあと、吸血鬼みたいに血に餓えたカメラマンが大勢病院のまわりにたかって、何とかしてめちゃめちゃになったぼくの顔を写そうとする。病院は出入制限してぼくの部屋も面会謝絶になっていたのに、とうとうひとりだけこうもりみたいに侵入して来た。ぼくが身動きはおろか声も出せないで寝ている横に立って、悠々とぼくの顔を映写機で大写しにして引き揚げて行った。あんなひどいことをするやつは人間じゃない。
 まだある。クラッシュのあと数週間だって、人前に出ようと決心したんだ。男は手足が千切れてなくならない限り仕事を放棄すべきじゃないと信じているし、まして顔なんか関係ない。でもちょっと床屋に行くのと同じわけには行かない。すべての身障者たちも同じだと思うけど、みんなが普通の人間として仲間に入れてくれるかどうか不安があるわけだ。それを拒むのは一種の暴力なんだ。例えば片腕のない人に会って、「ひどい恰好だな、手はどうしたんだい」なんて言うかい。言わないだろう。だったらなぜぼくには言うんだ。ニキ・ラウダとなると、途端にみんな自制心をなくすんだ。それともぼくは半年自宅にこもって人前に顔を見せない方がいいのか。そっちはなお不自然で、だからぼくはみんなの前に出て来たんだ。あんまり馬鹿げたひどい質問ばかりされたから、「俺の欲しいのはアクセルを踏める足で顔じゃない」って怒鳴りつけてもよかったんだ。ぼくが恥しいと思わないかって、そんなことまで聞くんだぜ。ぼくが「はいそうです、嫌われてまで生きていたくありません」と言って首を吊って死ぬとでも思っているのか。無礼な質問にはそれ相当にずけずけと答えてやったよ。そうしたら案の定、「傲慢なラウダ同情を寄せつけず」なんて書くんだ。誰も質問したレポーターの非礼には触れない。ぼくが誰に何と言われようと、我慢するのが当然だと考えてる。ぼくもそれに慣れてはきたけどね。

フェルカー:ファンが希望するんならそうしよう、ファンを喜ばせるのもぼくの義務なんだって前に言ってたじゃないか。もうその気持は無くしちまったのか。
ラウダ:できればそうしたい気持は今も同じだ。でもなかなか難しいんだな。レースの前にサイン攻めに会って時間を全部とられたりしたら、どうしようもない。ともかくベッドにもぐり込んで眠りたい時に、ホテルのロビーを占領している熱狂したファンにひとりひとりサインしてやりながら必死にかきわけて行く気持がわかるだろう。もうおしまい、って言いたくなるよ。メカニックのところに行って静かに話し合うことも出来ないんだから。ともかく立ち止ったら眼の前がサインしてもらいたい紙で一杯になる始末だ。サインするのはぼくの務めだと思うし、月に何千とサインしている。手紙で頼まれたら必ず鄭重にサインして返してるし、高額の謝礼金を受け取るスポンサーつきのサイン会ではそれなりにちゃんとやってあげてる。
フェルカー:ヘルムート・ツヴィックルが言った“新世代の若者たち”という言葉を聞いたことがあるか。最近の若いレーシングドライバーの特徴は、車を速く走らせることは知っているが、車そのものについては何も知らないというんだ。きみは立派な教育を受けたと思うが、もうかなり前から演劇を見に行ったり、本を読んだりしなくなっただろう。
ラウダ:たしかにそうだし、それもうんと以前からだ。これでは自分の心が干からびてしまうと反省はしている。社会のできごとを知ろうと努力しているがほんと表面だけだし、夜本を読むのもしなくなった。
フェルカー:やはりまずいんじゃないか。世の中のことがだんだんわからなくなってしまうだろう。
ラウダ:でも心配しても始まらないな。他のことに首を突っ込んでいたら仕事がおろそかになって競争に負けてしまう。
フェルカー:奥さんはレースに出ることに協力的なのか。
ラウダ:ぼくはいつもレースと家庭生活を分離する努力をしている。しかし完全に分けることは不可能だから、レースがどうのこうのにしょっちゅうマレーネを引っ張り込む。でも彼女は少しもいやがらずに協力してくれるのでぼくは頭を悩ます必要がない。この点はじつに感謝している。76年の8月にニュルブルで事故を起した時は特に助かったな。普通だったらレースをやめてくれと必ず言うと思うけど、マレーネはひとことも口にしないんだ。ぼくがまたレースに出られる迄に回復したのもマレーネのおかげだし、それも彼女が精神的に元気づけてくれたからだ。
フェルカー:きみもいつの日かレースをやめる時が来るだろうが、なぜやめるか予想できるか。
ラウダ:レースに興味を失ったらやめるね。
フェルカー:いつかは興味がなくなると思うか。
ラウダ:絶対そうならないと思う。
フェルカー:レースをやめたら何をしたい。
ラウダ:ただ好きなことをして過ごしたいね。例えば飛行機を操縦するとか。ぼくのレース歴そのものが飛行機でとんでる感じだ。ともかく飛行機は素晴らしいよ。ジャンボ・ジェットを自分の手で操縦するのが最高の夢だな。