F1を速く走らせる条件
ニキ・ラウダは自信家だ。火災事故で大火傷を負い、あやうく命を落としかけながら、わずか2カ月後には復帰を果たした不撓不屈の男。2度のチャンピオンシップ獲得の後、一度は引退しながらも、2年間のブランクを経てカムバックし、3度目のチャンピオンに輝いた伝説の男。かつてはスピードの司祭として君臨したこの男が、サーキットの不可侵領域、F1ドライビングを語る。

速く走る才能とはケツと脳ミソがリンクしていることだ

A 速く走るためには何が必要なんでしょう。
R 
それは才能だ。まず才能があること。ある人は絵を描く才能があり、ある人は歌う才能があり、またある人はクルマのことを感じとる才能がある。そういうことだ。
 クルマの運転でもっとも重要なのは、ケツと脳ミソがいかに素早くリンクできるかということなんだ。レーシングカーを運転しているときは、クルマの動きをできるだけ早くケツで感じとって、脳ミソで素早く動きを修正して、速く走らせるんだ。速い運転ができるってことはそういうこと。これがもっとも大切。

A 才能だけで決まってしまうんですか。
R 次に重要なのは、クルマの感覚をつかむことができること。どのようにドライブすればクルマはいかに動くかを理解することではなく、感覚が分かっていることだ。いいヤツっているだろう、他人の気持ちを思いやることのできるヤツが。ある種の人間は他人の気持ちを感じとることができるんだ。女性のこと、幼い子供のこと、お婆さんのことでも思いやることができる。とても暖かな感情だよね。それと同じように、クルマのことを感じとるってことなんだ。素晴らしいドライバーは、オイルがエンジンの中を流れる感覚を、つまりエンジンを目一杯使うために十分な温度が得られていることを、クルマを思いやるように感じとることができる。
A それは、そのドライバーの性格ということでしょうか。
R これはクルマに対する愛情の問題だ。レーシング・ドライバーのなかにはクルマやエンジンを壊さないドライバーがいるが、その反対もいる。これは単純に、どちらもケツと脳ミソに同じような才能を持っていながら、クルマに特別な感情を持っていないヤツもいるってことなんだ。私が現役で走っていたころは、クルマこそは成功の鍵だと思っていた。勝つのも負けるのも、死ぬのも生きるのもだ。私とクルマとの関係がどのようなものだったか分かるだろう。
 私はクルマの隅々まですべて知っていた。レースの前もメカニックにチェックしてもらうんじゃなく、自分でクルマの周りを回って、必ず自分でチェックした。そうすれば、ここにこれがあって、あれはこう動くということまで全部分かる。他のドライバーのなかには、そんなことにはおかまいなしのヤツもいた。ヤツらはクルマのことなんか何も知らない。ただクルマに乗り込んで、ケツだけで運転して、結局ゴールできず、リタイヤしたときにはクルマのことをボロクソに言うだけだ。しかし、私は途中でクルマのどこかが壊れたことが分かっていても、それをなんとかゴールさせ、時には優勝さえしたことがある。とにかく、
自分がクルマの最高の相棒にならなければだめだ。

A 日本の中嶋悟は、クルマのことはすごく分かっていた。タイヤの空気圧がほんの少し違っただけでも、それを指摘できたといいます。でも勝てなかった。
R 彼はケツと脳ミソのつなぎが良くなかったんだよ。まずケツと脳ミソがうまくつながっていることだ。このふたつがつながっていなければ、あとは何を言ってもだめだよ。なぜならば、これらをフルに使わなければならないからだ。まず才能、そしてそれをフルに活用できること。これができればチャンピオンになれるんだ。
A その才能は、訓練では得ることができないのですか。
R だめだ。
“はじめに才能ありき”なんだよ。才能があって、そして今度は経験が重要になってくる。経験によって、暑さや寒さのコンディションによる変化など、サーキットについてすべてを知ることができる。この経験というのは、運転して、走ってみなければ得られないものだ。
 シューマッハがいい例だ。彼の経験はまだ少ない。しかし彼には才能があり、その才能をフルに使うことを知っていて、毎レース経験を積みながら上手くなっている。
経験は学ぶことはできない。得るだけだ。
A 他の優れたドライバーの走りを見聞きすることは、経験を積むことの助けにはならないのですか。
R ならないね。ケツと脳ミソをつなぐこととまったく関係ないからね。経験は、クルマを完璧に理解して、そのサーキットにクルマを合わせながら才能を発揮することによって得ることができるんだよ。
とにかく才能がいちばん。こいつはアンタッチャブル。次にクルマを理解する力。そして3番目に、クルマを速く走らせるために何をすればいいかという経験から得ることのできる知識だ。
A クルマのセットアップ能力は次にくるんですね。
R 才能がないんだったら、家に帰っておとなしくしていた方がいい。これに関しては議論するだけ無駄というもんだ。才能がないと仕事にするのはキツイよ。たとえば私が現役で運転していたときには、400馬力のNAエンジンや1500馬力のターボエンジンなど、様々なマシンを走らせなければならなかった。このようにドライバーはいつでも変化を理解して、そのときのクルマに合わせて自分をベストのコンディションにもっていかなければならない。ルールが変わったらまたやり直しだ。その度に、ドライビング・スタイルや、それにかかわるすべてを変えなければならない。こうした変化に適応することも、才能があってはじめてできることなんだ。才能がなければどうやろうとうまくはいかないよ。

トップを走るためには政治力も必要だ

A いくら才能のあるドライバーでも、チャンスをつかむためには、リスクを冒さなければならないからたいへんですね。
R 速いドライバーとそうではないドライバー、チャンスがつかめるドライバーとつかめないドライバーのあいだには、歴然とした差がある。リスクを冒すというのは、また別の重要な問題だよ。
 知性のあるドライバーは、その必要があるときだけ、やむを得ずリスクを冒す。一方で、愚かなドライバーや向こう見ずな若いドライバーのなかには、いつでもリスクを冒しているものもいる。もちろん、それがそいつのやり方だというならば一向に構わない。本人がいいのならね。しかし、そうではないんだったら、リスクは自分自身を傷つけることになる。もし、まったく不必要なリスクだとしたら、それはまさに馬鹿げたことで、シーズンを棒に振ってしまうこともあるだろうね。そのあたりをしっかりと意識しておかなければいけない。

A ラウダさんが走っていたころに比べると、リスクは少なくなっていますよね。
R そう。現在ではクルマがとても頑丈になってきているから、それほど気にするべき問題ではないのかもしれない。私の時代には、もしミスをしたらほとんどの場合、病院か墓場行きだったよ。いまはとても安全になってきた。昔だったら、健康に気をつけて絶えずトレーニングを積んでいても、ひとつのミスで数シーズンも走れなくなったのにね。
 優れたドライバーはリスクを冒すことなく、すべての能力を総動員してチャンスをモノにするんだ。クルマが最高の状態だったら、1周は思い切って走ってみろってことだ。それからもう1周走らせる。リスクを冒すってことではなく、それまでのすべての経験を注ぎ込んで走らせるってことだ。

A 若いドライバーで速いのがいると、あとは経験が彼を育てるということですね。逆に経験を積むことが、やる気を削いでしまうことはありませんか。
R そんなことはない。若いヤツはチャンスをつかまなければならないんだ。シーズンを通して成長していって、自分を傷つけることさえなければ、もっともっといいドライバーになって、最終的にはトップまでたどり着くことができるんだ。
A ラウダさんの場合も、まずは才能があったということですね。
R あるとき分かったんだよ。私は速いってことが。あとは、その腕に磨きをかけることだってね。もちろん、いいクルマが必要だけどね。
A その自信は、どうやって持つことができたんでしょうか。
R 私はクルマをどう操縦したらいいかよく分かっていた。そして、どのラインを取ったらいちばんいいかってこともね。
A そうすると、あなたは他の誰よりも速かったということですか。
R それは違う。トップ・ドライバーはみんな同じくらい速い。取るべきラインはひとつだけだから、みんなそのラインをはずさないで走ることができる。ガードレールがあると、1インチまで寄ることができる。しかし、少しでも冷静さを失うと、的確なラインは取れなくなる。みんな同じだよ。
 もし私と他のトップ・ドライバーのクルマが同じようにセッティングされていたら、相手が誰であろうと、その人以上に速くは走れないよ。だってみんなが、できるだけ速く走ろうとしているからね。最速の走りができるドライバーが、同じようにセットアップされたマシンを運転したら、みんな同じスピードだと思うよ。

A どのサーキットでも、誰よりも速く走れるようにクルマをセットアップすることはできましたか。
R それは無理だ。けれど、与えられたセッティングのクルマで、いつもベストを尽くすように努力をしていたよ。
A ブラジルからエマーソン・フィッティパルディが出てきたときに、ロシアや中国に行けばあれぐらいのドライバーはたくさんいるのに、彼らにはそのチャンスがないだけだ、などと言う人たちがいましたが、プロフェッショナルのドライバー以外にも素晴らしい才能の持ち主が隠れている、ということについてはどうなんでしょう。
R ということは、カラヤンも100人はいるんだろうね。
 我が道を行くってことが、成功には絶対に必要なんだ。フィッティパルディが直面していたすべての問題、つまりブラジルから英国への移動とか、すべてをクリアしてはじめて彼になれるんだ。フィッティパルディが有名になったとき、ブラジルにはカルロス・パーチェという名の彼よりも速いドライバーがいるってみんな口々に言ったものだ。パーチェはずっとゴーカートをやっていて、一方フィッティはヨッヘン(リント)に代わってロータスに乗った。しかし、それは、パーチェとはなんの関係もないことだ。フィッティがやるべきことをやり終えたときに、はじめてみんなはパーチェのことを話題にするようになったんだよ。たぶんパーチェにはフィッティを抜くことはできなかっただろうね。
 それに、
レーシング・ドライバーにとって速く走るってことは、基本的な条件、最初のステップにすぎないってことを忘れてはいけない。速く走ることができても、もし劣ったクルマにしか乗ることができなければF1では通用しない。たとえ、どんなに速く走ることができたとしてもね。
A それは、政治力も必要だということですか。
R いいクルマに乗るためには、少なくとも2年間はF1に参戦して努力を続けなければいけない。もちろん、いやなヤツのいないチームでね。しかも、そのうえでいいクルマを手に入れるためには、他に足を着けて走り続ける以外のことをあえてしなければいけないんだ。そういう意味では、いまF1に乗ってとても速く走っている人よりも、もっともっと才能のあるドライバーが確実にいると思うよ。政治力と走る才能とはまったく別のものだからね。
A ドライビング・スクールをトップで卒業しても、F1で勝てるとは限らない。
R それはまったく無駄なことだ。競技としての走りは、全体の一部であって、確かにそれ無しに話は進まない。レーシング・ドライバーの学校は、なにかプラスになるだろうけれど、すべてを教えてくれるわけじゃあない。卒業してからは、自分自身のやり方でトップになるために戦わなくてはいけないんだ。

チャンピオンシップ獲得は2度目からが難しい

A ところで、あなたの見たところでは、現在は誰がベスト・ドライバーですか。
R それはとても難しい質問だ。いろいろな種類のクルマがあって、ドライバーたちもそれぞれ異なった状態におかれている。いいクルマに乗っているからいいドライバーだとは、言い切ることはできないだろう。私に言わせれば、ドライバーの最高の状態は、キャリアが円熟してきて、才能のすべて、感情のすべてが完璧に波長が合い、お金をたくさん稼いでいるときだね。というのは、銀行預金が増えれば増えるほど、頭に自動的にブレーキが浮かんできてクルマをコントロールできるんだ。これは当然の論理で、それがビジネスというものだ。
A お金も一種のドライビングの要素だと。
R 円熟したドライバーにとっては、金は仕事の邪魔にならないんだよ。かえって、それがベスト・ドライバーの条件になる。セナでも誰でもそうだけど、銀行口座に金を貯めることは、自分をやる気にさせるためにやらなければいけない、ドライビング以外のもうひとつの仕事なんだ。彼らはすでに金持ちなのに、さらに完璧を追求する。それはけってクレイジーなことではない。彼らには、まだまだやる気があるってことなんだ。
 ドライバーがキャリアを積んでいくなかで、あるとき、限界までスピードを出すことができる特別な状況が訪れるんだ。しかし、ピークまで上りつめて稼いだ金に満足してしまうと、その状態を維持するにはたいへんな努力が必要となる。最初にチャンピオンシップを獲得するときに比べると、2度目に勝つことはとてもたいへんなことで、3度目ともなるとさらにたいへんになる。つまり、1度成し遂げてしまうと、2度、3度、4度勝とうという気持ちを持ち続けることが難しくなるんだ。最初は普通にできたことでも、自分に言い聞かせながらでないとできなくなる。それの繰り返しなんだよ。

A あなたの最初の引退はそれが理由だったんですか。
R いいや。チャンピオンシップ獲得の回数の問題ではない。もう、うんざりしたんだよ。2度目のチャンピオンシップに挑戦したときに死にそうになっただろう。その次のシーズンに勝てたけどね。
 私に関して言えることは、いつでも極端にやり過ぎてしまうんだ。勝つか負けるか、死ぬか死なないか、両方の可能性がいつでもある。すべてが起こって、これ以上何がしたいんだろうと考えたとき、もう十分だって思ったんだ。

A お金が理由ではないですよね。
R それは違う。その年、素晴らしい条件の契約が提示されていたけれど、サインしなかった。金は問題ではない。2年間休んだあとでまたF1にこないかと声がかかったときは、状況が違っていたからカムバックしたのさ。誰も私がうんざりするようなことはさせられない。最初の引退はやる気がなくなっていたのさ。
A すでに引退を表明しましたが、プロストのように10年以上走って、3度タイトルを獲って、それでも今年また4度目を獲得したというのは凄いですね。
R 他にも理由がある。レーシング・ドライバーにとって、いちばん難しいのは別の仕事を見つけることだ。分かるだろう、彼らにはレースしかないんだ。
 ずっとレーシング・ドライバーとして生きてきて、いまさらなんで変えなければいけないんだい。そのままの方が簡単に金になるし、経験も豊富で、本当に優秀なドライバーなんだから、それを辞めて違う仕事を探すのはとてつもなくたいへんだよ。だから、ドライバーはできるだけ走り続けようとする。そしてある日、年をとって肉体的にきついと感じて辞めることになるんだ。そうして、何もやることがないという大きな問題にぶちあたる。そうなったら最悪だ。
 私の場合、ドライビングとはまったく違う仕事をゼロから始めることができたんだ。レースと航空会社とでは共通点は全然ない。飛行機に乗っていろいろなところへ行く。これって全然違うことだろう。その点では私はとても幸運だった。もし、私が他にもっと興味のあることを見つけていたらと想像することもあるけどね。

A でも、努力が大きかったわけで、幸運なだけではないでしょう。
R もちろんそうさ。私は仕事について誰かに聞くこともなく、ただ、がむしゃらにやりたいことをやってきた。工場でもなんでも、手をつけなければいけないことがたくさんあったからね。

恐怖心を取り去ることは簡単なことだ

A 危険の大きさからすると、F1ドライバーという職業は、それほどいい仕事ではないと考えていますか。
R いいや。いまのF1ドライバーに聞けば分かると思うけど、ほとんど危険のないいい職業だよ、いまはね。私が乗っていたころは、少なくとも1年にひとりは死んでいた。君が来るようになって、何人死んだか数えられるだろ。いまでは、そういう話はめったに聞かなくなった。ここ8年、誰も死んでいないんだ。つまりとても安全になったってことだ。
 最終的に私が引退を決意したのは、私も人間だからいくら大丈夫だって言われても、一生チャンスを追いかけて生きていくわけにはいかなくなったんだよ。短い期間ならやる準備ができていた。でも、それも終わったんだ。とにかく、いまはクルマがより安全に、より良くなっていることは確かだよ。

A 走っているときに、事故というかスピードに対して恐怖は感じませんでしたか。
R 全然。そういうことは気にしない。理由は簡単。自分自身にそう言い聞かせたんだ。毎年、人は死ぬ。これは生きていけば避けることのできない事実だ。そのなかで、チャンスをつかみたいのか、それともつかみたくないのか。私は腹をくくって答えをだした。もちろん、私はチャンスをつかむとね。
A それは凄い。けっして簡単なことだとは思えません。
R なぜって、私はこのスポーツが好きだから。すぐに決心できたんだ。ただ、それだけのこと。あとは実行あるのみだ。いまでは、この手の決心をする必要はなくなった。そういうのはもう過去の話なんだ。言ってみれば、15年間F1の世界で生きてきて、引退して第二の人生へ踏み出すことの方がよほど危険を伴うくらいだよ。いまではリスクが小さくなって、「おい、気をつけろよ、注意しろよ」と言われることもなくなったから、みんな長いあいだドライビングを続けていられるのさ。
A しかし、当時は相当な決心が必要だったわけですね。
R 最初に物凄いクラッシュを目撃したときにどう思うかで、その先、そのドライバーが乗り続けるかどうかが決まってくる。F1に乗るのをやめた人には、これはまったく馬鹿げたことだって思う瞬間がやって来たんだよ。そうでなければ、一度は自分の選んだ道をそう簡単には辞められないよ。
 当時、私はそうは感じなかった。人生はあるときに決心しなければいけないんだ。プロとしてこの道を極めたいのか、本当にそうしたいのかってことをね。自分自身に質問してみて、すべてに正直に“YES”って言えたら、事故への恐怖を克服したことになる。それでも恐かったら、正直に答えていないってことだ。

A そのころのドライバーは、みんな恐怖を克服していたんでしょうか。
R いいドライバーはそうだね。そうでなければ、脅えてしまって心配のあまりに眠れなくなるし、走るのも遅くなるよ。
A 若いころはそんなことは考えないで運転していたと思いますけど、あなたがその決心をしたのはいつごろのことだったんですか。
R 1970年の9月5日だ。ヨッヘン・リントが亡くなった日だった。
A アクシデントの恐怖を頭から追いやるのに、メンタルなトレーニングは必要ではないですか。
R 特別いらないよ。スイッチをオフにする方法を学べばいい。私の場合、頭のなかにあるスイッチで、レーシング・ドライバーに自分を切り換える。感情のないレーシング・ドライバーにね。恐怖心を追い払うんだ。そうしてから走れば問題はない。むしろ問題はまたスイッチをもとに戻すとき、つまりレーシング・ドライバーから普通の人間に戻るときに時間がかかりすぎることなんだ。
A どのくらいかかるんですか。
R 他のドライバーと比べたら短いとは思う。でも、通常ではやらないことをやってしまうんだ。
 こういうことがあったよ。サーキット独特の雰囲気で興奮してしまって、ちょっとおかしくなったような人を見たことあるだろう。そういうヤツとはほとんど目を合わせないことにしているんだけど、いつのシーズンだったか、カナダGPで私がコースアウトしてクルマから降りたときに、“マスタースイッチ、マスタースイッチ”と叫び続けたオフィシャルがいたんだ。マシンから少し煙が出ていて、彼は私にマスタースイッチをオフにして欲しかったらしいんだけれど、私は何も問題がないと分かっていたから、彼にまずヘルメットを脱がしてくれって静かに言ったんだ。でも彼は、やって来て消火器を開けるとクルマに吹きかけたんだ。私は心底怒ってヘルメットでどやしつけてやった。いつもならけっしてやらなかったことだし、本当に悪いことをしたと思っている。でも、そのとき私のメンタルなスイッチはまだ“レーシング”に合っていたんだ。“ニキ”じゃなくてね。

A いまのドライバーは、スイッチを切り換える必要がなくなったわけですね。そのことによって、ドライバーは昔といまで変わりましたか。
R 全然、変わっていない。ただ、状況が変わってきたんだ。リスクがより少なくなってね。
A 速いドライバー、中くらいのドライバー、遅いドライバーがいて……。
R もちろんその通り。昔もいまも同じさ。

自分を駆り立てるモチベーションは何でもいい

A 飛び抜けて素晴らしいドライバーは特別な体験をすると聞きましたが。
R どんな人でも、自分を駆り立てるものを人生に見つけようとしている。そのために神を信じる者もいれば、自分自身を信じる者もいるんだ。ある人はまったく別のものにひかれるかもしれない。私は、それが何かということはあまり重要ではないと思う。つまり、人の人生はそれぞれがまったく違っているから、別々のモチベーションが必要なんだ。それが人間というものだからね。
A あなたが2度目に走ろうとしたときのモチベーションは何ですか。
R ただ単に、私の航空会社でやろうと考えていたアイデアがうまくいかなかったからだ。オーストリアの政治は良くなかったし、私はもっときちんと自分のビジネスを確立するために、時間の余裕が欲しかったからね。カムバックしてみようじゃないかって考えた。まったく2年間もドライブしていないのに本当にできるかなとも思ったけれど、自分自身を駆り立てたんだ。そして、とにかく試してみようと決心したんだ。そして、それは可能だった。
A 2年間のブランクは、問題にならなかったのですか。プロストも1年間休んでいますけど。
R うん。彼にとっては朝飯前のことさ。たった1年だろ。私の場合は2年間休んで、そのあいだ完全にF1の世界から遠ざかっていた。まったく違った仕事をしていたからね。関係者の誰にも会わなかった。それからカムバックを決めたんだ。カムバックしたいと考えてから、いろいろなことを変えなければならなかったよ。
A 情熱や技術を失っているとは思わなかったですか。
R いいや。カムバックしてまたレースにのめり込んだ。悪くはないと思ったね。
A 最後にお聞きします。経験も豊富で才能のあるドライバーがいて、いいクルマに乗ることができたとして、速く走るのにもっとも必要なものって何でしょう。
 正しい心構えだ。フィニッシュできるような、正しい心構えだね。