強さの秘密を探る
担当エンジニア
ジョルジョ・アスカネリに聞く。


卓越した人物

 今年からフェラーリにやってきた二度の世界タイトル保持者、ミハエル・シューマッハが、チームの技術者たちの仕事のメソッドをすでに変革させてしまったという話は、裏の取れた事実である。こんな短時間にそれをやり遂げてしまうなんて、まさに驚くべきことだ。
 シューマッハが非常に仕事熱心な人間であるということは、我々もよく知っている。ベネトン時代、その前向きな姿勢は周囲への気配りといった柔らかな面でもそうだが、“クールさ”と“わがままさ”(とくにプライベート・テストのときの)という点で個性的に表れていた。彼のチームメイトは、シューマッハの冷静沈着な判断力を評価しながらも、「彼は何でも触らせてもらえるのに、こちらは彼のテレメトリーさえチェックさせてもらえない」などとこぼしたものだ。
 しかし、チームとうまくやっていなかったわけではない。これはイギリスでの話。つまりシューマッハには、言葉という大いに頼れるものがあった。ドイツ人はもともと英語で表現するのが得意だが、シューマッハには飛び抜けた学習能力があり、チームの仲間、とくに技術陣とのコミュニケーションには何の問題もなかったと思われる。
 マラネロ。当然ながらもっともイタリア的なフェラーリへやってきて、シューマッハは同じことをしているのだろうか。契約上はベネトン時代同様、『何事においても彼が優先される』という特権を得ているが、チームはこれにどう反応したのだろう。技術陣とはどうやって良い関係を築いたのか。そして何よりも、すでにできつつあるというシューマッハ的な仕事のメソッドとは?
 シューマッハの強さの秘密を探るために、まずはこれらの事柄からフェラーリのヘッド・エンジニア、
ジョルジョ・アスカネリに話を聞いてみた。マクラーレンに在籍していたこともあるアスカネリは、英語は完璧。フェラーリ技術スタッフの中で、シューマッハとごく細部にわたってまで対話できる、数少ない人間だ。
 まず最初に、シューマッハはひとことで言うとどんな人物ですか?
「ひとことで言えば、卓越した人物、ということになるだろう。疲れ知らずのハードワーカーであると同時に、他人とうまくやっていく技術を持った青年でもある。仕事中は笑いもしないなんて言われているが、まったく馬鹿な戯言だね。ミハエルはどんなことでも深刻ぶらないし、彼に憧れを持っている人間にさえも笑って冗談を言ってるよ。
 だから、彼を担当する作業チームは、彼の言うことを一生懸命に聞く。彼の言うことを理解しようと、必死で英語を喋ろうとしている者もひとりやふたりじゃないよ。ミハエルのマシン・エンジニアのイグナチオ・ルネッタは、英語のブラッシュアップのためにイギリスに行ったが、その後、ふたりの関係は一層スムーズになったようだ」


素晴らしく合理的

 シューマッハ的な仕事のメソッドとは、どのようなものですか?
 「彼とやってると、まず時間の無駄がない。エンジンにしても空力関連の開発にしても、プライベート・テストにはあらゆるタイプのものがあるが、ミハエルのやり方は常にとてもシンプルなんだ。
 まず“ニュートラルな状態”にセッティングしたマシンに乗る。2〜3周、それを理解するのに必要なだけ周回して、ピットに戻ってくる。そして、サーキット関係担当のルネッタか、もしテストチームだったらルイジ・マッツォーラから、これからテストする変更項目すべてについて聞く。メカニックが作業を始めると、その時間も自分で納得できないものの調整に当てるんだ。たとえばハンドルやシートの位置などだね。
 それから、何も言わずに持っている。誰のプレッシャーにもならないように、もしカメラマンや記者が来ていて自分がいると作業の邪魔になるような場合は、チームが仕事しやすいように彼は自分のいる位置を変えようとする。作業からは完全に離れないで、常に今どの段階でことが運んでいるのかを把握しながら、落ち着いて対応するんだ。
 そしてまたマシンを走らせる。何周か回ってピットに戻ってくると、信じられないかもしれないが、そこですぐに変更部分の評価を出すんだ。つまり、マシンの挙動状況を完璧に教えてくれるわけさ。で、レギュレーションのことを質問したりして、またコースに出る。これを一日中繰り返すのさ」

 それで、彼のマシン・セッティングはどうです?あのドイツ人がやるのだから、ものすごく厳密なんじゃないかという噂がありますが?
 「はっきり分からないことは、何でもすぐに神話にされるんだな……」
 話してもらえますか?それとも秘密ですか?
 「サーキットによってはシューマッハは非常に要求が多くなる。今ではこちらも彼の望むことが分かるようになってきた。概して言うなら、彼のやるようなセッティングを要求するドライバーは非常に少ないだろうね。偉大なチャンピオンたち、つまりセナやプロストなどと仕事をしてきた私の経験から言わせてもらえば、ああいうセッティングを好むドライバーは運転に関して卓越した感覚を持っている。マシンを“乗りこなす”ことができるんだ。具体的には、他のドライバーよりもアンダーステアのマージンを常に少なくしてくれと言ってくるね」
 ミハエルはマシンのリアを軽くするのを好むと聞いてます。
 「今も言ったけど、アンダーステア気味のマシンを好むので、後ろより前にたくさんの負荷がかかるようにセッティングする。我々はリアがスリップしても大丈夫なマシンを用意するようにしているが、彼のカーブの切り抜け方を注意して見てもらえれば、より速くカーブを抜けるためにこのスリップを頻繁に利用していることがわかるだろう。彼の仕事のやり方は時間のロスがないと言ったが、そのドライビングも、ともするとタイムロスにつながるかもしれないことをプラスに利用してしまうという点で、素晴らしく合理的だよ」
 一方のチームメイトは危機的な状況に置かれませんか?
 「それはちょっと違うね。今話したような細かいことより、何しろミハエルが一所懸命に仕事をする人間だということが重要なんだ。結果的にチームメイトのテストが追いやられてしまうのは、ミハエルがテストドライバーとしてもずば抜けて熱心で、また優秀だからだよ」

ミハエルのフェラーリのために

 その仕事のやり方は、グランプリの予選のときはまた変えるんですね?
 「時間が限られているから、技術者側もドライバー側も、とにかくスピーディに決断することが重要になってくる。コースに出たミハエルは、猛然と飛ばして、コースをしっかりと研究して、ピットに戻ってくる。そして頭の中にインプットされた情報をメカニックに正確に伝えて、変更する部分の作業が終わるのを待って、またすぐコースへ出て行く。彼は自分の感覚や意見を的確に表現するのが実にうまいんだ。
 レースを戦ううえで、彼のようなドライバーを使えるのはとても有利なことだね。本当に、こういうドライバーだったら仕事もやりやすいよ」

 そういう状況がシューマッハ自身にもプラスの相乗効果をもたらしている、と言えますか?
 「彼のように、あれだけのめり込んで、自分にも努力を課してやているドライバーがいるだけで、みんな死ぬ気で働くぞという気になるからね。グランプリの週末の夜には、彼の要求に応えるために、まったくゼロからマシンを作ってしまうこともある。だからといって、スタッフが愚痴を言ったり、不満を言ってるのは見たことがない。みんなミハエルのフェラーリのために何か力になろうとしているんだ。
 これもまた私の経験から言わせてもらえば、こういうポジティブなサポート態勢は偉大なチャンピオンにしか絶対あり得ないことだよ!」


「シューマッハ語録」で考える
「心」「技」「体」…最強の条件。


「体」肉体とクルマ

 相撲や柔道などのスポーツでは、よく「心技体」ということが言われる。肉体(体)と技術(技)だけではなく、精神(心)も鍛えなさい、という昔ながらの武道の教えだ。具体的にどう評価するのかは知らないが、大相撲の世界では今でも、この「心技体」三拍子揃っていることが真の横綱の条件とされている。
 心技体……。確かに私たち日本人には、根っこの部分でフィットする感覚だ。「心」の部分が根性論に誤解されるのは困る。でも、そうでなければ、非常に単純明解で、本質的なコンセプトだと思う。
 そこで、F1グランプリにおける“最強の条件”を、地に足の着いたこの和風コンセプトで、しかもシューマッハ自身の発言から探ってみよう。彼は記者会見や本誌のインタビューなどで、「正直であることは僕のポリシーのひとつ」と明言している。なかなか言える台詞ではない。
「僕はF1で最も強い肉体の持ち主のひとりだろう」
 F1にはクルマという要素があるので、「体」は人間と乗り物、両方のボディということで考えてみた。
 まず、F1を戦うには、急速な加減速にもパンクしない心肺機能、信じがたい横Gにも耐える首の筋力、そして、ときには摂氏50度にもなるコクピット内で2時間もバトルを続ける持久力、すべてを兼ね備えた肉体が必要だ。シューマッハはその最強の肉体を、メルセデスのジュニアチーム時代から作り上げてきた。
 基礎となっているのは、スポーツ医学の権威、
ウイリー・ダングル博士による完全に“プロ仕様”のトレーニング・メソッドだ。シューマッハはこれに自分なりの工夫を加え、今では完全に“シューマッハ仕様”の週間トレーニング・メニュー(それもシーズン中用とオフ用がある)を確立している。ちなみに、シューマッハは冬場のトレーニングにクロスカントリー・スキーを取り入れているが、これもメルセデスの養成プログラムに組み込まれていたものである。
「自分がいいと思うマシン・セッティングを施すだけだ」
 もうひとつのボディ、マシン作りに関してもシューマッハは実にプロフェッショナルだ。「誰が何と言おうと、僕に合ったセッティングを施すことは自分の責任を完全に果たすために不可欠」と言う。
 シューマッハのセッティングは、リアを軽くセットアップするところに大きな特徴がある。これはセナと同じ好みだ。しかし、コース上を走って自分が“感じた”ことをエンジニアが理解しやすいように表現する力、という点では、セナより上ではないかと言われている。

「技」ドライビング

「F1で勝てたのは、これまで習得したすべてを発揮できたから」
 学習能力が高いことも、シューマッハの大きな強みのひとつだ。
 「はじめてフェラーリに乗ったとき、大袈裟に言えばコーナーを曲がることもできなかった。でも今はずっと良くなった。それは僕がまた新たなものを身に付けたからだ」
 これは、今シーズンはじめ、フェラーリF310の発表会での彼の言葉だが、この発言からもその能力の高さが十分に窺える。それはつまり、同じミスを繰り返さない、ひとつの方法から別の方法へと学びながら上達できる、といったことだ。
 シューマッハの場合、「これまで習得したすべて」とは、レース中にクリアしたばかりのコーナーのこともしっかり含まれる。たとえば、雨のレースでシューマッハはいろいろなラインを試して走る、ということにお気付きの方も多いだろう。フェラーリに18戦ぶりの勝利をもたらしたスペインGPも、もちろんそうした走りで勝ち取ったものだ。
「マシンをきちんとコントロールし、かつ、ブレーキを遅らせられる」
 シューマッハがアンダーステア気味のセッティングを好むのは、アクセルでマシンをコントロールすることができるからだ。シューマッハ自身は「弱アンダー気味のセッティングは、マシンをきちんとコントロールしやすいと同時に、他のドライバーよりブレーキを遅らせることができるからだ」と語っている。
 シューマッハのアクセル・ワークがいかに絶妙か。それはテレメトリーでシューマッハの走りをチェックしているエンジニアたちがいちばんよく知っている。「彼のアクセル・ワークにはときどき驚かされる。どんなドライバーも舌を巻くだろうね」とは、チーフ・エンジニアのイグナチオ・ルネッタの言葉だ。

「心」性格と目的意識

「僕は努力を怠らないタイプなんだ」
 シューマッハはテストドライバーとしても非常に優秀だ。ドライバーがエンジニアに情報を伝えるとき、シャシーよりエンジンの方が的確に伝えるのが難しいと言われるが、かつてマクラーレンでセナと働き、現在はフェラーリでエンジン担当のチーフと務める
後藤治氏は、「シューマッハはセナに似たところがあるが、シューマッハの方がタフだね。テストをすることが好きだし、そういう意味ではとても仕事がやりやすい」と語る。
 もちろん、シューマッハはレース中も最善の努力を怠らない。良い例が、マシンのどこかが壊れた場合だ。
 昨年のスペインGP、彼のベネトンが5速ギアでスタックしてしまい、それでも他のドライバーより速いラップを叩き出したときのことを思い出してほしい。私たちは彼のズバ抜けた運転技術に感心したものだが、“可能な限り完走をめざす”というスポーツカー時代からの努力がなければ、きっと見られなかったシーンに違いない。
「人生の200%をレースに捧げている」
 日本風に言うと、骨の髄までF1ドライバーでありたい、ということか。数あるシューマッハ語録の中でも、これは名言と呼ぶに相応しい台詞だろう。
 口に出してそう言えるのは、しっかりした目的意識を持っているからである。シューマッハはセナの悲劇のあと、少しでも疑問を感じていたり、自信が持てなければマシンに乗るのは危険だと、「自分の職業と究極の目的についえ考えた」。その結果、自分は走り続けられると確信し、現在は「世界一のチームで世界タイトルを獲るという、素晴らしくチャレンジングな目的に向かって努力している」。そして最大の目標は、「1981年から93年の間に合計51の勝利を手にしたアラン・プロストの記録を破ること」なのである。
 さて、世紀のスーパードライブを生み出す「心技体」の秘密が、これで少しはお分かりいただけただろうか。