ニッサン水野和敏が教える
レーシング・ドライバー養成術

才能だけではもう速くなれない。シューマッハのように徹底的に鍛え上げたドライバーがグランプリを制する日がやってくる。

レーサーは作られる
 
忙しさにかまけてでかけなくなり、結局は退会してしまったけれど、一時期アスレチック・クラブなるものに所属してジムで身体を鍛えていた時期がある。学校を出てからというものまともな運動をしていなかったから、運動不足(と、その延長上にあるらしい老化)が怖くなったのだ。クラブにでかけて、まるでカモシカのような肢体と天使のような愛想を持つインストラクターのお嬢さんについてもらって、まず最初に運動能力テストを受けたとき、その数値の低さにがっかりした。これでも学生時代は器械体操部に所属して、逆上がりくらいはこなした男だ。折につけ薄々は感づいていたが、肉体の衰えを冷徹な数字で示されて心底動揺してしまった。
その晩はビールを飲んで心を落ちつかせ、振り返ってばかりいないで未来を見つめようと自分に言い聞かせた。それで恐る恐る自分の身体の鍛え直しを始めることになった。もっともいくら未来を見つめているからと言って、30歳も過ぎてからの話なので心臓に負担をかけないように、ほとんど病後のリハビリテーションまがいの船出だった。
 ところが、これにぼくはハマってしまったのだ。当初は、ぼくを打ちのめした運動能力テストで記録された数値を目標にした。トレーニングを始めると、この数値は難なく書き換えることができた。少々、拍子抜けするほどに簡単だった。
 ではもう少し、とトレーニングの負荷を増やした。するとまたデータが向上した。では、もう少し。データが上がる。もう少し。データが上がる。負荷を与えれば与えるほど、ぼくの身体はそれを吸収して消化し、生気を取り戻していくように感じた。それはまるで、乾ききった植木に水を注ぐような状態だった。
 こうなるとやめられない。ぼくは仕事が一段落すると自転車にまたがってジムにでかけるようになった。一部には件のイントラのお嬢さんとの交歓が目的だろうとの陰口はあったが、とんでもない。ぼくは、データを確かめてはトレーニングの負荷を増して自分の身体を痛めつけ、その結果向上する運動能力データを確かめてほくそ笑む作業が、本当に楽しく感じるようになってしまったのだ。
 たとえばランニング・マシンだ。前回よりも速いスペースで、前回よりも長い時間走る。走っているあいだはもちろん苦しい。おそらくは課題をこなしてマシンを止めた後はもっと苦しい思いをするだろう。全身から脂汗が流れ出し、内臓が痙攣を始める。
 しかしこの状況で、ぼくは明らかに快感を感じていた。なにかと言うと、うなされたようにジムへでかけるぼくの姿を見て、当時、妻はぼくのことを「サルセンちゃん」と呼んだ。本当なのかどうなのか、猿に自慰を教えると死ぬまで繰り返すという話があるが、妻は快感を求めてふらふらジムへでかけるぼくの姿を、その猿に重ね合わせたのだ。ちなみに、「セン」とは言うまでもなく自慰を意味する俗語の最初の2文字である。
 自分の運動能力がいま向上しつつあるという精神的な快感は確かにあった。能力が向上し、しかもそれが数字で示される。自分がいま、違う物に変化しつつあると感じる。これまでとは違う感触にとらわれる。できなかったことができるようになる。このときみなぎる感覚こそがぼくにとっての「エクスタシー」なのだった。これは猿に理解できる快感ではあるまい。

速く走るための教育

 かつて器械体操をやっていたころ、ときどき恐怖感にとらわれた。たとえば新しいワザを身につけたときだ。なぜ以前はできなかったものがいまはできるようになったのか、目に見える裏付けは何もない。しかし、やはりワザをこなすことはできる。
 それが危険なワザであればあるほど、ワザそのものよりは、それができるようになった自分が怖かった。前方に何もないことを知っていても、目を閉じて全力疾走するのは怖ろしいものだ。
 レーシング・ドライバーなら、なおのことだろう。彼らは着々と技術を身につけ、速く走るようになる。その進歩はラップタイムとして数字になって示される。しかし、「速くなる」ということがどういうことなのか。彼らの体内で何が変化するのかは分からない。かつて、全日本F3000選手権で突如として速く走り始めた鈴木亜久里に「何が変わったのか分かるか」と聞いたことがある。陸上競技の選手なら、筋力がついたから速く走れるようになった。と言うかもしれないところだ。
 ところが亜久里はあっさりと「オレは何も変わってない。チームとクルマが良くなっただけ。それでも何も怖くない」と言い切ってくれた。彼が速く走るようになったのは大事件だったしその姿には十分痺れさせてもらったが、これでは話はワヤだ。
 しかしその後、何人かのレーシング・ドライバーに同じような質問をぶつけてみたが、返ってきた答えは大同小異だった。その結果ぼくは、「サーキットを速く走るための能力は、考えなくてもいいことを考えないという能力に比例する」という答えを導き出して、とりあえず納得することにした。話は逸れるがその後の取材を通しても、この命題は当たらずとも遠からずだ、という気がいまでもしている。それはともかく。
 ところが先日、日産自動車の技師である水野和敏氏から、かなり興味深いお話をうかがうことができた。言うまでもなく水野氏は、日産のグループCカーでのレース活動を技術的に率いる立場にあった人で、昨年からは全日本F3000を闘う鈴木利男のテクニカル・アドバイザーとしても注目を浴びている人だ。水野氏はこう言うのだ。
「利男選手とぼくは、90年の(Cカー)開発のときから組んでいますよね。90年にまず何をやったかと言うと、彼に1年間開発ドライバーとしての仕事を教えたわけです。仕事と言ったって、ただ乗って評価しろということではない。きちんとまず情報提供者としての能力を鍛えたわけです。要するに、ひとくちにコーナーと言ってもいろいろ要素がある。ターンインのときはどうだった、クリップにつく、クルマがニュートラルのときはどうだった、パワーオンして荷重が後ろにかかったときはどうだった、というのをタイヤのグリップ感、荷重の移動量感というふたつの係数で報告しろ、と」
 つまりこれは、我々が曖昧に「クルマの乗りやすさ」と表現する感覚を数値化しようとする試みである。考えてみれば、器械体操のワザのできるできないも、厳密に分解すれば握力だとか荷重移動能力だとか、数値で表現できたのかもしれない。
「そのためには、わざとキャスターを1度ずつ変えたり、キャンバーを1度ずつ変えたり、コーナーウエイトを5キログラムずつずらしたりしたクルマに乗せて、まず触感を覚えさせたんですよ」
 ちなみに、キャスターだとかキャンバーだとかいうのはクルマの車輪がサスペンションに対してどんな角度で取り付けられているのかを示す要素であり、コーナーウエイトというのは平たく言えばクルマの4個のタイヤにどのように荷重がかかるか、つまりバランスはどうなっているかを示す要素である。
 ぼくはこの話を聞いて思わず「本当にそんなことやったんですか」と聞き返していた。すると水野氏は自信満々にこう言うのだった。「やっているんです。あのね、ドライバーってのは育てるものなんすよ」
 育てる!育つ!ドライバーの能力はやはり変化していくものだったのか。
 「5周走ったらキャンバーを1度、もう5周走ったらキャンバーを2度、と。次はキャスターを0度、3度、6度、9度と振っていく。何がどれだけ変わったらどう感じるか。そういう基本用件を頭にたたき込むんです。それができたら、今度はそのフィーリングを表現するための言葉のやりとりマップを教える。これができてはじめてテスト・ドライバーとしての役割を果たすことができるようになる。このトレーニングに1年かかりましたよ」
 言葉のやりとりマップ。つまりドライバーとエンジニアのあいだに通用する、絞り込まれた言葉のことだ。
「荷重が乗っているのか、ロールするのかしないのか、タイヤの接地感は濃いか薄いか。コーナーにしたってオーバーだアンダーだではなくてターンインでどうだニュートラルでどうだ、パワーオンでどうだ、と。ドライバーとデザイナーは共通の辞書を持ってはじめて状態を技術に置換できるんです」
 近代モーターレーシングでは、ドライバーとエンジニアのあいだのコミュニケーションが重要な意味を持つ。速いマシンに速いドライバーを乗せればそれで勝てる時代ではなくなったのだ。
「ドライバーの仕事は、受け取った情報を運動エネルギーに変え、そのときクルマに何が起きたのかという情報を正確に返すこと。エンジニアの仕事は、その情報をマシン上の物として反映させ、それについての情報をドライバーに与えること。この仕事の分担を守っていきたい。スタビがどうの、スプリングがどうのと注文つけるヒマがあるなら、どんなことが起きたのかを正確に表現しろ、とドライバーには言っているんですよ」
 どうやら近代のレーシング・ドライバーは、マシンの動きを検知しその感触を正確な言葉で表現してエンジニアに伝達するセンサーとして、特別な働きを要求されるようだ。その要求を満たすためには、神経をより研ぎ澄ます必要があるのだろう。
 90年、鈴木利男が日産のCカーチームでこんなトレーニングを受けていたとは知らなかった。前年の89年、全日本F3000を闘う鈴木利男をシーズンを通して観察する機会があったのだが、努力が結果につながらずすっかり落ち込んだ状態でシーズンを終えていたものだ。そこから始まったこのトレーニングで鈴木利男は様々なマシンの挙動を覚え、それをエンジニアに表現する方法を身につけた。さらに感覚そのものも鋭く磨き上げられたのだろう。これだけ新しい技術を自分の物にすれば、たとえはともかくサルセン状態のぼくに似た快感を味わったのではあるまいか。水野氏は続ける。
「日本では、テストドライバーという言葉が気軽に使われているけれど、本当の意味でレーシング・テストドライバーとしての育成を受けたのは、鈴木利男が最初で最後になるんじゃないかな」

コントロールされる才能

 トレーニングを重ねたのはいいとしよう。このぼくだって、インストラクターの視線をうかがいながら脂汗をかいてトレーニングを積んだ。では、ぼくが陸上競技やらウエイトリフティングや自転車競技でそれなりの成績を修める選手になりえただろうか、と聞くのも無駄のような気がする。もちろんなれなかったし、なろうという気持ちも起きなかった。要は、才能がなければダメなのだ。
 いくらなんでも37年もこの世で生きてくれば、頑張ればいつか夢がかなうなどと思うほど無邪気ではなくなる。才能がなければ、どれほど努力をしたって手に入れられない物がある。レーシング・ドライバーだって例外ではあるまい。では、鈴木利男にはその才能があったということか。その才能はいったいどうやって見抜かれたのか。それともたまたま放った矢が的に命中しただけの話なのか。
「幸いなことに、いまはフォーミュラにしてもCカーにしてもテレメトリーなどいろいろけなデータ収集システムを持っていますよね。そこで収集したデータを見れば、この人は基本ができているからOKだとか、選択ができるんですよ。その選択はこちらがしなければいけない」
 ここでも才能は、きちんと論理的に判断されていた。というよりも論理的に判断できるからこそ、それを育てることもできるわけだ。「自分で言うのもなんですが、クルマがどういう挙動をしているか見抜く力はありますよ。だから外から見れば、いまドライバーがどういう運転をしているのかも手に取るように分かりますね。タイムは出ているけれどあちこちに負担をかけて限界で走っているとか、まだまだ余裕があってタイムを縮めていくことができるとか、すぐに分かります」
 ということは、レーシング・ドライバーが速くなるためには、才能を見いだしそれを育て上げる能力を持った人間の役割がかなり大きく重いということになる。中原中也ではないけれど、このぼくはあまりに早く無能な植木師にせっかくの技を落とされてしまったものだから、いまはこうして文章を切り売りして口を糊するしがない稼業に身を置いている。もっと幼いうちに水野氏のような能力を持った人間にテレメトリーでもなんでも使ってもらって才能を発掘してもらっていれば…。もっとも、文章を書く道すら閉ざされていた可能性は高いが。
「ドライバーによく言うんですけどね。能力線というのがあって、これが人並み値だとするでしょ」と、水野氏は白板に水平な線を一本描いた。「で、好きなことってどこにあると思いますか」
「ええと。その線より上、ですよね?」とぼく。
「では嫌いなことは?」
「下」と今度は自信を持って。
「そうですね。でね、嫌いだと思うのは、それが人並み値より下だってことになる。よく、世間では嫌いなところが自分の短所だからそこを直して頑張ります、と言うでしょう。あれは、ダメですね。嫌いだと思った瞬間、それは人並み値の下に行って、そのあといくら頑張ったって、この線を超えて上に行くことはない。というか、線より下にあるから嫌いだし苦手になるんです」
「すみません」
「いや、謝ってもらってもしかたがないんだけど。で、ぼくは嫌いなことを人並み値に引き上げるために100時間使うならば、それだけの時間を人並み値の上にある好きなこと、得意なことを磨き上げるのに使いたい。ドライバーにもいろんな癖があるんですけれど、苦手なところを穴埋めしたってそれは人並みになるだけの話でね」
 ぼくの体内に根強く存在する平均値を上げることを良しとする思想は、明らかにアメリカ風統計学的生産手法の崇拝の結果、刷り込まれたものであるように思う。デコボコしたものを平らにすれば大量生産しやすくなる。生産効率を上げて、競争に打ち勝つ。たしかにこれはひとつの考え方で、日本はまさにアメリカ式手法によって戦後復興を遂げた。
 一方、F1グランプリは徹底的にヨーロッパ的なものである。日本では平気で「欧米」とひとくくりにするけれど、ヨーロッパはけっしてアメリカと相いれるものではない。生産手法にしたってそうだ。ヨーロッパならばデコボコがあればその彫りをもっと深くしてオリジナリティの勝負に出るだろう。
 少なくともヨーロッパでレースをやるならば、ドライバーはデコボコしていなくてはいけないのではないか、と思っていたところに、水野氏は言うのだ。
レーシングドライバーの教育とは、平均化などではなく人並みはずれた部分を見いだして、それを伸ばしていく作業だ、と。
 こうして見いだした才能を磨き上げる過程では、教育者もかなりの達成感を得るに違いない。しかし水野氏の話を聞くと、彼の喜びはドライバーの才能を引き出すだけには終わらないようだ。
「去年のF3000なんかでは、今回はストレートで遅いけれどコーナーは絶対だから、10周目まで様子を見て、後半みんなのタイヤがタレてきたら20周目以降で勝負をかけよう、とかストーリーをきっちり決めてやっていましたね。レースの組み立てをピットも知っていると思って走るのと、自分で考えながら走ってピットは何も知らないんだろうなと思って走るのとではドライバーの安心度がぜんぜん違う。データを共有することで、不安を取り除くことができるんですよ」
 水野氏は、こうしてレースをコントロールしてドライバーを勝利へ導くのである。つまり、レーシング・ドライバーはトレーニングによって作られるし、コントロールによってその能力を最大限に発揮するのである。

目先の快感・遠くの王座

 今後、モーターレーシングを舞台に威力を発揮するドライバーは、こうした論理的なトレーニングとコントロールを受けることが不可欠になっていくだろう。シューマッハは、当初「サイボーグ」だと言われた。メルセデスによって徹底的な教育が施され、スケジュールをトレースするようにF1グランプリへ送り込まれたからだ。
 その過程でシューマッハはその能力を徹底的に鍛え上げられた。昨年ベルギーGPで初優勝を遂げた直後インタビューしたとき、ドライビング能力はいつ成長したのかという質問に答えて彼はこんなことを言っていた。
「メルセデス時代、いやというほどレーシングカーに乗ってサーキットを走らされた。その過程でシャシーのこと、タイヤのこと、いろんなことを学んだから、いまのぼくがあるんだ」
 才能を見いだし、オマエは速いからと、その才能を信じるだけでマシンを手渡す時代はもう終わった。ドライバーの能力が変わりうることは分かった。しかし、速いレーシング・ドライバーは、積極的に教育し積極的にコントロールしなければならない時代がやってきたのだ。それができるのは、もう自動車メーカーしかないのではないか。
 もし将来F1グランプリの王座に日本人ドライバーがつけるとしたら、才能を持つだけでは間に合わない。かなり積極的な教育体制が必要なのだ。それがない限りは、もし才能が現れたとしても、シューマッハに追いつくことは絶対にできまい。
 仕事が一段落したら、またスポーツクラブに入会しなおそうと思っている。運動能力が甦っていくときに感じるあの快感が忘れられないからだ。そのついでに、マートラMS80のようになってしまった下腹が引っ込めば、願ってもないことだ。いま、洋服ダンスにぶらさがっているズボンの類はまとめて神への感謝の供物にしてくれよう。
 あの快感を、ひとりでも多くのレーシング・ドライバーたち、とりわけ未来のワールドチャンピオンが感じられるよう、願わないではいられない。ぜひとも、ともに化けたい、と思う。
 この際、視野に入ってくるお嬢さんは無視して遠い目的地を目指そうではないか。目先の快感にとらわれては、本当に欲しい物を取り逃がす。一にトレーニング、二にトレーニング、信ずる者はきっと報われるのだ。才能さえあれば。