セナの速さを語る

なぜアイルトン・セナはあんな(凄い)ドライビングができるのか。これはセナと同じように速く走れないドライバーの永遠のクエスチョンだ。

 93年4月のドニントン・パークのヨーロッパGP。ドシャ降りのスタートで、セナは1周目に5台を抜き去り、トップに立った。そしてそのままゴール。この1周目の走りは、まるで鬼神のそれだった。何があっても必ず抜いてやるという強烈な意志。そしてその意志を的確に伝える運転技術。マシンの性能が予選6番手であった事実を彼は冷静に把握し、1周目に彼の前にいる5台のマシンを抜き去らねば勝てないと判断を下したのだ。その結果が、見る者誰もがド胆を抜かれるテクニック(走り)となって開花したのである。
 しかし、この凄まじいセナのドライビングが、いったいどこから出てくるのか、知る者は少ない。セナ自身に語らせても、それがいかに身についたかは、おそらく語ることはできないだろう。ではこういう手法がある。セナと一緒に働いたチームのエンジニア、タイヤのエンジニア、ライバル、チームメイト等にセナを語ってもらうのだ。こうすれば我々も少しはセナの速さに近づくことができるはずだ。と、思う。
 まず、セナと今シーズン一緒に仕事をした、マクラーレン・チームのセナ担当エンジニア、
ジョルジョ・アスカネリの話を聞いてみよう。

 いままでに仕事をしたドライバーのなかで、セナは仕事のしやすいドライバーと言えますか。
「いちばん仕事がしやすいドライバーだとは言えない。しかし、エンジニアリング面でドライバーの能力を評価することはできない」
 無理を言うことはありませんか。
「もちろんある。私が知る限りでは、彼はもっとも挑戦的なドライバーだ。セナの場合、大前提としてクルマへの不満がある。0.5秒ラップタイムを縮めることがどれほど困難であるか彼は知っている。だから、何事にもできる限りの精力を注ぐ。たとえ問題があったとしても、結局はその0.5秒を手に入れる。それがセナの力だ」
 セナは自分のクルマの技術面を理解していますか。
「理解している。最近のクルマはハイテク化が進んで分かりにくいのだが、彼は基本を良く理解している。クルマを分解して直してみろと言ったら、彼ならやれるかもしれない」
 セナは個人的な付き合いをするのが非常に難しいドライバーですが、仕事に影響がありませんか。
「ないね。プロとしてお互いに仕事をしているので、個人的な感情は必要ない。ただ、私の場合はアイルトンと同じラテン系なので、ほかの人よりも彼を良く理解できるのかもしれない。もちろん、いつも意見が一致するわけではないけど」
 グランプリの週末は、どのようにして彼と仕事を始めるのですか。
「グランプリ前にアイルトンと直接話をする機会はほとんどない。通常、グランプリの週末の前に彼にファックスを送り、レースの合間の10日間にチームがどんな仕事をしたかを知らせておく。内容は前のレースの結果のレビューとその分析。そしてクルマのセッティング内容とレースプラン。 23周の練習走行では、できる限りのデータを集めなければならない。その点、アイルトンはクルマの走りを素早く分析し、私に詳しく説明することができる。これは他のドライバーに比べてたいへん有利だ。彼はもう10年もF1の経験があるから、十分訓練されているのだろう。タイヤでもエアロダイナミクスでもメカニカルな問題でも、彼は問題点を素早く指摘することができる。基本的に、彼には物事を見極める才能があるのだと思う。 セナはクルマにとても優しい。レースの最中でも、とても丁寧にクルマを扱っている。1991年のブラジルGPで優勝したことを考えれば分かる。あのとき、レースの終盤には2速と5速しかギヤが残っていなかった。クルマを消耗させないために意識して普段でも繊細なドライビングをしているが、たとえ何か問題が生じても、彼はうまくクルマを操ってフィニッシュラインまで持っていくことができる」
 彼のレース戦術は優れていますか。
「優れているね。しかし、レース前に我々とレースプランを話し合うことはほとんどない。彼はレースの流れに乗りながら、自分なりの作戦を立てるのがうまい。私も彼とあまりレースについては話さないのだが、たいていは彼が何をしようとしているのか分かる」
 セナとの仕事を楽しんでいますか。
「答えはイエスでもありノーでもある。ノーという理由は、今シーズン終盤の彼の仕事に対する熱意が薄れており、以前より仕事が面白くなくなったことだ。アイルトンのもうひとつの仕事上の問題点は、決断の時期を先に延ばしてしまうことだ。たとえそれがウォームアップからレースまでの時間が3時間しかなくても、彼はできる限り自分の考える時間を稼ごうとする。しかし、そのおかげて私は自分の計算を何度も繰り返し確認することができるので、自分の出した結論に自信を持つことができるわけだけどね。だが、アイルトンが時間ギリギリに変更を決断した場合、十分な仕事の時間を取れなくてメカニックにしわ寄せがくる。結果的にミスが生じる確率も高くなってしまう。 始めからパーフェクトか、短時間で間違いを正すというのがF1のモラルかもしれないが、彼が我々に仕事の再確認をする時間をもう少し与えてくれればありがたいと私は思っている」

 この会話を読めば、セナがF1マシンのテクノロジーに非常に精通していることが分かる。とくに、
「クルマを分解して組み立て直してみろと言ったら、彼ならやるかもしれない」というアスカネリの言葉は、感動的ですらある。そして現代のF1で勝つために重要な点はクルマに優しいこと。セナはこの点でもアスカネリを感心させている。しかし、セナにも欠点はある。それは多分にメンタルな部分で、考え過ぎるということだ。何においても決断の時期を先に延ばすことが多い。これは結果的に自分にも周囲にも不利に働く。メカニックは作業時間が削られて、ミスが生じる確率も高くなるからだ。
 それでもアスカネリは、セナをいちばん速いドライバーとして、もっとも優秀なドライバーとして認めている。それを「挑戦的なドライバーだ」と表現する。この表現を、セナは喜ぶに違いない。次に、予選の速さや決勝レースの結果に直接影響のあるタイヤにスポットを当ててみたい。セナはタイヤに優しい走りのできるドライバーだといわれる。グッドイヤーのエンジニア、
ダグ・スウィフトは、セナをどう見ているか。

「セナはタイヤに非常に関心を持っている。もちろん、彼の場合は自分の走りに関心するものすべてに関心があるのだがね。彼のレースに対する情熱、そして闘争心はまったく人並みはずれているよ。
よくタイヤについて話し合う。彼は様々な疑問をぶつけてくる。タイヤに何が起きたのか、どんなことが起こる可能性があるのか、常に理解を深めようと努力している。
 タイヤが関係してくるレース戦略も、いろいろと考えているようだ。レース中のタイヤ交換の回数とか、レースの最後まで全開で走り通すのとレースの最後に向けてタイヤをセーブして走るのとでは、どちらの方が有利かなど、じつに細かい計算をしている。こういう意味では、誰よりもタイヤのことを考えているドライバーだと言っても過言ではない。 テストドライバーとしても、アイルトンはトップクラスだ。彼は定期的にテスト参加しているが、アイルトンとの仕事はとてもやりがいがある。彼は考えるドライバーだから、ストップウォッチでは得られないタイヤに関する情報を、正確に伝えることができる。 我々の仕事というのはドライバーのコメントに頼る部分が多いのだが、アイルトンは仕様の異なるタイヤひとつひとつについて、クルマのパフォーマンスにどういう影響を与えるかというところまでコメントしてくれるので、とても仕事がしやすいんだ。 アイルトンはタイヤの扱いもずば抜けて上手い。彼のタイヤの消費率は、ほとんどいつも平均値以下だ。非常に繊細な人だから、タイヤに負担をかけすぎないように注意して走ることができるのだろう。車載カメラの映像を見ると、ハンドルを持つアイルトンの手の動きがとてもゆっくりとしていることが分かる。彼のハンドル操作はとても滑らかでスローだ。 それは、適度なサイドフォースがかかる程度までしかハンドルを切らないからで、他のドライバーのように限界点を越えてしまってからあわてて急激にハンドルを戻すということがない。タイヤは性能の限界点を一度越えると、負担がかかりすぎて消耗が激しくなる。その点、アイルトンは限界ぎりぎりまでもっていくことができるが、けっしてそれを越えないのでタイヤが長持ちする。 予選用タイヤを使っているころは、アイルトンがタイヤをどれほど理解しているかがいまより明らかだった。予選用のタイヤには一度しかチャンスがない。タイヤの限界点を素早く認識する能力は言うまでもないが、余分にかかるグリップに合ったブレーキング・ポイントとターンイン・ポイントを素早く調整し直すことで、彼はタイヤの温度を調節することができた。彼のアウトラップ(ピットアウト時の周回)は天才的だった。スピードを計算し、フライングラップのスタート時にはちょうど良い温度までタイヤを温めることができた。これでいちばん難しいのは、前輪と後輪を同時に温めることだ。F1マシンはパワーがあるから、後輪は簡単に温まる。しかし、後輪だけが温まっていてスティッキーで、前輪は冷たいままだったらたいへんなことになる。この前後のバランスが重要なカギだ。アイルトンの凄いところは、アウトラップ時にコーナリングによって前輪を、加速によって後輪を温め、ちょうどよいバランスに整えることができることだ。この能力があったから、彼は他のドライバーよりも予選用タイヤの性能をフルに生かすことができたんだ。」


 残念ながらエンジンに関しては、セナと一緒に働いたエンジニア(今年はフォード・コスワース、去年以前はホンダ)の話を取ることはできなかった。エンジンは、タイヤと違ってより複雑な機構を備えている。しかし、セナのアプローチは、その相手がタイヤだろうとエンジンだろうと何ら変わらない。非常に細かい部分に、鋭い分析を入れながら、そのものが持つ最高性能を引き出そうとする。
 88年だったか、ホンダの
後藤治プロジェクトリーダーが次のようなことを教えてくれた。「アイルトンはレース前夜、エンジンの性能データグラフを持ち帰って、ベッドの中でそれを読破するんだ。エンジンの最高性能を引き出すには、その作業はぜひ必要だと彼は言う。我々も相手がセナでなければデータを貸し出すなんてことはしない。それにしても彼の勝利に対する貧欲さは他に例を見ないね」 この後藤エンジニアの言葉が、セナの技術への深い思い入れを表現している。しかし、セナがこれだけの努力を払ってレースに臨んでいることを、誰が知っていただろう。あの凄まじい速さは、彼の猛烈な学習の結果なのだ。

 ところで、セナの技術に対する理解力の深さはよく分かったが、もうひとつの面メンタルな部分はどうだろう。トップクラスのドライバーは、誰もが強靭な精神力を持っている。セナがその頂点にいることは言わずもがな。 ただし、セナの強さは時として傲慢と映ることがある。そのことは、マクラーレン・チームのロン・デニスも指摘していることだ。「スポーツの世界、ビジネスの世界にかかわらず、何か目標を達成しようという人間は、必ず誰にも負けない『何か』を武器として持ちたいと願っている。彼の場合は、
ベストドライバーになることが人生の最大目標だから、あそこまで一途にレースに打ちこむことができる。アイルトンにとっては、その姿勢こそが自分の武器なんだ。マクラーレン・チームも、この姿勢には定評がある。だから、アイルトンにとってもチームは大きな支えだ。彼のような人間にだって、気弱になる瞬間はある。どんなに強い人でも、こういう瞬間があるものだ。しかし、自分が気弱になっているときでも、チームが支えてくれるから大丈夫だということを彼は知っている。また、立場が逆になることもある。マクラーレンの環境には、アイルトン自身の精神的姿勢と共通したものがあるから、これほど強いパートナーの絆ができたんだ。 アイルトンのコースでの走りというのは、生まれながらの才能、努力、技術的理解、そして、どんな状況下でもベストの結果を得るという強い意志が複雑に絡み合った結果だ。彼のこういった力が逆に困難の原因になったり、弱点になったりすることも否めない。なぜなら、彼は政治的な局面を利用する才能も持ち合わせているからだ。アイルトンの政治的側面は、あまり気持ちの良い部分ではない。チームや彼の周りにいる人間の気持ちを動揺させ、やる気を削いでしまうことさえある。
 だが、アイルトンとマクラーレンと彼のメカニックたちは、それぞれの能力を認めている。もちろん、もっと情熱的な思い入れがあれば、と思うこともあるが、お互いを尊敬する気持ちがあれば十分だと思う。
仕事をするためにサーキットに集まるのだ。遊びのためではない。彼がもっとソフトなアプローチの仕方を学んでくれれば嬉しいとは思うが、彼はそういう人間ではない。それが彼が我々に与えてくれる走りの代償であるならば、甘んじて受け入れるほかない」

 それにしても、セナは88年にマクラーレンに加入してから、なんと6年間もそこに在籍し、3度チャンピオンを獲得している。ロン・デニスはその6年間、セナと戦いながら彼を走らせていたのだ。次にセナのライバルである他のドライバーに話を聞こう。まずひとりめは、83年イギリスF3選手権でセナと激しい戦いを繰り広げた
マーチン・ブランドル。彼は93年、リジェ・ルノーでセナを追いかけまわした。

「F3当時のセナとF1で走り始めたころの彼を見ていて、大人の頭を持った青年だと思った。いまのシューマッハにも、同じことを感じている。セナには正しい選択肢を選ぶ能力と、ある程度の自信と、独特の存在感がある。それが彼を今日の地位にまで押し上げてきた。
 彼が才能のあるドライバーだということは誰の目にも明らかだが、これまでには彼が感情のコントロールを失うこともあった。とくに、プロストとの件ではそれが露呈した形になったわけだが、その部分を除けば彼は完璧なドライバーだと思う。予選に強く、スタートに強く、混戦に強く、ウエット・コンディションにも強い。そのうえ、クルマの内側と外側からチームを引っ張っていく才能を持っている。このすべての合計が3回の世界チャンピオンの座だ。正直に言って、トップ20人のF1ドライバーは、能力的には大差ないと思っている。全員が同じクルマに乗ったら、1周の差は0.5秒程度にしかならないと思う。セナの特殊な才能というのは、チームの力を最大限に引き出し、最高のチームに作り上げる能力だ。スピード的には、彼はそれほど特別にほかのドライバーよりも速いというわけではない。だが、自分が特別なドライバーになるために必要な最高のトータル・パッケージを必ず手に入れるという点が、彼の凄いところだ。アイルトンはレースのためにすべてを犠牲にしている。僕はそうできる彼が羨ましい。その他のドライバーは彼ほどの犠牲を払っていない。だが、レースに対する愛情だけのために彼はそうするのではない。莫大な報酬という見返りのためだ。たとえば、人間の人生として考えた場合、私にあって彼にない要素がある。妻や子どもたちもそのひとつだ。だが、彼は自らその道を選んだ。そうできる彼を私は尊敬している」


 セナは、ライバル・ドライバーとよく問題を起こした。遅いドライバーには強引な追い抜きをして文句を言われ、速いドライバーには強引に仕掛けて接触事故を起こしたこともある。しかし、こうした直接的な批判や事故のほとぼりがさめると、
ライバルの誰もがセナはやはりベストだ、と認めてしまう。それほどセナの速さは絶対的である。
 最後に、ブランドルとは立場の違う
ゲルハルト・ベルガーに登場してもらおう。ベルガーはマクラーレンでセナとチームを組み、楽しく厳しい時間を過ごした。ベルガーの言葉の中に、その様子が見てとれる。

「アイルトンのドライバーとして最大の強みは、弱点がないというところだ。ほとんどのドライバーが弱点を持っている。集中力の弱いドライバーもいれば、肉体的に弱いドライバーもいる。技術的理解が欠けているドライバーもいれば、ただ、スピード的に十分でないドライバーもいる。F1でトップドライバーになるには様々な要素を兼ね備えていなければいけないわけだが、ほとんど全員が何らかの弱点を持っている。しかし、彼はあらゆる必要条件を満たしているように思える。 とくに、集中力においては群を抜いている。彼の生まれながらのドライバーとしての資質は計り知れないほどだし、技術的理解も非常にレベルが高い。セナよりも自分が勝っている点を見つけること自体が困難なのだから、他のドライバーたちにとっては、非常に厳しい相手なんだ。 彼は良い奴だが、政治的にとても強い一面も持っている。説得するにはとても難しい相手ではあるがフェアな人間だ。 彼はレースのためにすべてを犠牲にしていて、プライベートな生活もなく、結婚もしていなくて、とても自分に厳しい生活を送っていると思っている人が多い。だが、私は彼がレースのためにすべてを諦めたのだとは思っていない。いずれにしても、アイルトンはそういう性格の人間なんだ。レースをしていなくても、結局、他の世界で同じように生きているのだと思う。 他の何人かのドライバーたちと比較したら、もちろん彼は自分の人生をレースに捧げていると言えるし、努力家でもある。彼は完璧なレーシング・ドライバーなんだよ。 アイルトンの強みは粘り強さだ。ほとんどのドライバーの走りには波がある。私が一緒に働いたことのあるドライバーたちには、皆、調子の良い日と悪い日があった。だが、それがアイルトンにはない。彼はいつも最高のコンディションで走ることができるドライバーだ。たとえ何か問題を抱えていても、彼はレースの週末に入ると、恐るべき集中力でドライビング以外のことは自分の内から締め出してしまう。そして、ドライビング・パフォーマンスだけに、100パーセント集中することができる。 彼のチームメイトだったころに、私は彼からいろいろなことを学んだ。彼がいたお陰で、私はグランプリ・ドライバーとは何か、以前よりも意識するようになった。マクラーレンを辞めたときには、入ったころと比べてずっとプロフェッショナルな、万能なF1ドライバーに成長していた。 そのかわり、いくら世界一のドライバーになりたくても、リラックスして笑う余裕くらい残っているはずだということを、私はアイルトンに教えてあげられたのではないかと思うよ」

 天才アイルトン・セナを作り出したものは何だったのか。天才アイルトン・セナのドライビングを作り上げたものは何だったのか。その密が少しは理解できただろうか。