全快を祝って

 1976年8月、ラウダはドイツ・グランプリで重傷を負い、一時は生死を気づかわれた。同年10月13日、全快した著者は英国BBC放送のテレビ番組“スポーツの夕べ”に登場、負傷とその後の経過について司会者ハリー・カーペンターと語り合った。その記録を紹介する。

司会:さて今夜はレースに眼を向けて英国のジェームズ・ハントとオーストリアのニキ・ラウダの世界選手権争いの模様を御紹介したいと思います。ハントは過去10日間にふたつのレースに優勝しました。グランプリ・レースはあと1回しかありませんが、ハントの得点はラウダと3点の僅差に迫っています。ジャッキー・スチュアート以後英国人のチャンピオンが途絶えているために、ハントに対する期待は今や最高潮に達しております。現在グランプリではドライバーの失格とその訂正にからんで議論が沸騰しており、マクラーレンとフェラーリ・チームの対立問題にまで発展していますが、そのかげにニキ・ラウダの負傷事件があったことを皆さんは覚えておられるでしょうか。ちょうどオリンピックが終了した翌朝、われわれはそのニュースを知りました。そのラウダ選手が重傷後僅か1ヵ月半でレースに復帰しました。これはまさに前例のない奇蹟のカムバックとしか言いようがありません。しかも現時点で彼はまだ選手権得点でトップに立っています。
ラウダ:ぼくは事故の時頭を打ったらしくて、事故の間、そうですね3分ぐらいかな、それから救出されてから20分ぐらいと思うけど、全然思い出せないんです。気がついた時はヘリコプターのエンジンの音がして、どこに行くのか、どのくらいかかるのかとぼんやり考えました。病院まで行くのに45分だったそうです。それからあとは全部憶えているんです。
 病院に着いた時はもう参ってしまって、眠いと言ったら違うかな、早くどこかへ行ってしまいたいような感じでした。でもそれにさからって何とかしようと必死でした。耳はちゃんとしていましたから、意識はぼんやりしていたけどまわりの音や人の話し声を聞こうと努力しました。それが結果としてよかったみたいで、だんだん頭がはっきりしてくると体の痛みと戦うんだという意識が湧いてきたんです。

司会:眠くなったんじゃないということですが、すると今自分が死にそうなんだなと思ったんですか。
ラウダ:いや、違うんだな、そうだな、何もかもうまく行かないといったらいいのかな。あきらめてしまって、どうしようもないという感じかな。
司会:痛みに負けてはいられないぞとファイトが起きたのはどうしてですか。気持が変る何かきっかけがあったんですか。
ラウダ:ぼくの本能が命令したんだと思います。自分が死にそうだとわかったら、誰だってはっとなって死にもの狂いで生きようとするでしょう。でも体が動かなかったら頭の中だけがすごい速さで回転すると思うな。ぼくも同じで、意識もうろうとしてたけど、耳から入ってくる声とか人の名前を必死でキャッチしようとしたと思うんです。誰がいるのかな、どうしてあの人はここにいないのかなと懸命に考えようとしたのが脳の刺激になって、それが生きる気力につながったんじゃないかな。気力が出てくれば体だっていい方向にいくし。
司会:神父さんが来たのを憶えていますか。
ラウダ:ええ。看護婦が呼びましょうかと聞くからうんと返事したんだけど、それはぼくが怪我して苦しんでいたからだけなんです。ぼくはローマ・カトリックなので、確かにその神父さんが来てくれたんです。何かぼくを励ます話をしてくれると思っていたら、何もしゃべらずに黙ってぼくの肩に小さい十字架を置いて帰りました。ええと、死に際のお祈りのことを英語で何て言ったかな……
司会:Last Ritesでしょうな。
ラウダ:そう、それ。それをしてもらおうと思ったわけじゃないんですよ。話をしてほしくて、できれば元気づけてほしいのに、見えなかったけど多分お祈りだけして引き揚げちゃった。ぼくがしてほしいことがわからなかったんだと思うな。
司会:顔以外の怪我はどうだったんですか。車が燃えて熱いガスを吸って肺をやられたそうですが。
ラウダ:いちばんひどくやられたのが肺です。治ったあとで先生が言ってたけど、絶対駄目だと思ったっていうんだから。
司会:顔の火傷はいつ気がつきましたか。
ラウダ:木曜か金曜にはじめて鏡を見せてもらったけど、頭全体が今の3倍くらいに膨れ上がっていたので、火傷そのものよりそっちにびっくりしました。800度の火の中に40秒もいると、体が自動的に皮膚の下に水を送るとかで、このくらいの大きさになっててショックでした。もう元に戻らないかと心配して先生にきいたら、そんなことはないから安心しろと言われて。
司会:顔の傷をみんなに見せたくないと思いましたか。
ラウダ:いいや。でも病院で全く不愉快な思いをさせられたのは忘れないな。新聞が私の顔を何とか写真に撮ろうとしてね、パリからわざわざカメラマンが出張して来る騒ぎなんです。これこれの大金を払うから撮らせてくれっていうんですよ。仮に知っている人が事故で顔に火傷したら、大怪我でも同じだけど、その人に向かって、あなたの顔はこんなふうになってますよ、って言いますか。そんなこと絶対に言わないでしょう。そっとしてあげて、お年寄と同じにいたわってあげるでしょう。その気持をええと・・・英語が思い出せないな。
司会:Pityかな。Sympathyでもいい。
ラウダ:その通り。それなのに私に対しては争って火ぶくれになった顔を撮ろうとする。全く意地悪い仕打ちなのでいくら私だって精神的にショックを受けました。こちらもそれならというわけで、私の病室に鍵をかけたんです。新聞が私の顔の傷で儲けるなんて断じて許せなかったから。一度看護婦がほんのわずかの間鍵をかけ忘れて出て行ったら、その隙にカメラを持ったのがひとり侵入して来ました。すぐ逃げてったけど、ぼくは手で顔に触らないように手をベッドに縛ってあったので、口惜しかったけど何もできなかった。そいつは写真を撮ってから引き揚げました。これが入院中の最悪の事件で、退院して家へ帰ったらまた家の周りをカメラマンがうろつくんだな。我慢できなくなって警察に電話して追い払ってもらったけど、どいつもこいつもひどい奴ばかりだった。
司会:ともかく退院できて本当におめでとう。それに事故発生からたった1ヵ月半でもうグランプリを走ったそうですが、驚きですね。それほどレースというものが魅力があるんですか。教えてくれませんか。
ラウダ:ぼくは今の仕事が気に入っています。車は技術的に無限に面白味があるし、レースも好きですね。もちろんどうしたらいいかよく考えたんです。やるかやめるかね。そうしたらどうしてもやるべきだという結論になってしまった。少し長くレースから遠ざかったら体がなまるだろうし、それを元に戻すのも大変だと思います。それで完全に治ったんですぐモンザへ行ったんです。治らないうちに走るのは危ないから、絶対にやりませんよ。
司会:モンザでまた似たような事故が起きたらいやだなとは思いませんでしたか。
ラウダ:全然。気楽にレースができたという感じでした。金曜日はかなりの雨で、水溜りもできて滑りそうなのでプラクティスに出るのをやめようと思ったんですが、ピットに坐り込んでないで走って車と高速走行になじまないと永久にF1に乗れなくなるぞ、と自分に言い聞かせて飛び出したんです。1周だけだったけど。慎重に4速で走ったのにストレートで横滑りしてね、あれだけの雨なら当然のことなんだけどこれは危険だと直感してピットインしました。そうしてこう水溜りが多くちゃ走れないよとはっきり言って車を降りたんです。ぼくは蛮勇を振るう人間じゃなくて、危ないと判断したらそこでやめます。金曜日がこんな具合で午前も午後もだめになったので、あとは土曜の午前中1時間だけでした。最初のうちはまだコースが完全に乾いていなかったので、ゆっくり走り始めました。さあ落着いて、だんだん慣れて行けばいいんだ、力むな、と自分に言い聞かせながら走ったんです。そうしたらタイムは5番目だったんです。よし、これなら大丈夫と思いました。
司会:ラウダが完全に復活したわけですね。英国出身のジェームズ・ハントがモンザでまたもやルール違反の判定を受けてグリッド最後部に落されたのはまさか関係ないと思いますが、ひょっとしたらラウダの亡霊が出てきて呪いをかけたんだと思った人がいるんじゃないかな。それは冗談ですがそれにしても信じられませんね。大事故、大怪我、そしてみんながまだ騒いでいるうちに突然レースに出場して4位に入るんですからね。ハントも顔負けして途中で消えてしまったじゃないですか。重傷のあとすぐ走っても何ともありませんか。前と違ってこわいと感じることはないんですか。
ラウダ:自分では前と変っていないと思いますがまだ全力で走っている感じがしないんです。もうちょっと経てばああこれが俺の限界だなという走り方ができると思うんだけど、今は正直言って事故を忘れようと努めているので限界走行まで達しないんです。こういう時は頭を使って正面から問題に切りつけて行くのがベストだから、なぜ事故が起きたかから始めて、もやもやを全部分析してしまう方がいいことはわかっているんです。そうすれば絶対また速く走れます。
司会:レーシングカーに乗るといつもの自分と同じでいられますか。
ラウダ:ふだんの気持で走ったんじゃ駄目です。車を操縦することだけで他のことをシャットアウトして頭から追い出してしまわないとレースは出来ないんです。ぼくはよく言うんだけどボタンを押すとかスイッチを切るとかいうとわかると思うけど、必要なこと以外全部スイッチを切ってしまうわけです。レースが終ったらまたスイッチを入れればいい。スピンとか接触してコースアウトしたドライバーが大声でわめいて喧嘩するのを見たことがあるでしょう。あれはまだスイッチを切ったままだから走ることだけしか考えられない状態なんです。車がだめになって本人にとってレースはおしまいになっているのに、それがわからない。だから傍から見てまるでみっともないくらいわめき立てたりする。中にはピットまで歩いて帰って、そこで怒鳴ってわめき散らす人もいる。人によって違うけど、レースが終ってからスイッチが元に戻るのに長くて1時間、短くて10秒かかるんじゃないかな。
司会:今年のグランプリ・レースは失格問題でずいぶんもめますね。その辺はどう考えますか。それからチャンピオンの見通しは。
ラウダ:ジェームズ・ハントはけしからん人間だと思ってます。彼は好きだし、今まで仲良かったんだし、スペインで本当は失格なのに優勝した時もまだ彼が悪いと思っていませんでした。確かにジェームズは資格のない車を走らせた。だけどそれは、彼じゃなくて監督かそれ相当の人のミスだと思ったからです。その次にブランズハッチで例のごたごたがあって、結局パリの審判委員会で彼が失格して優勝を取り消された。確かにぼくには有利な判定だったが、最終判定に対しては批判しないつもりでいたし、ジェームズも同じだと考えていたけど間違いでしたね。判定に不服で口惜しければ、レースでフェラーリを負かせばいいので、それがドライバーとしてのマナーだとぼくは思う。ところが彼は判定以来ぼくに会うと怒鳴るんです。ブランズハッチでお前が抗議したのは大間違いだとか言ってました。われわれは立派なドライバーで、ごろつきじゃないんです。あいつはどうかしてます。グランプリ・ドライバーズ・アソシエーションに安全小委員会があって、5人のドライバーが年にいちどは集まってレースの安全性向上について討議しています。ちょうど昨日5時からそれがあって、その前にホテルでジェームズに会って行こうと誘ったんです。そうしたら安全委員会なんて知ったことか、俺はレースに来たんで遊びに来たんじゃないって言うんですよ。どうしたんだ、君も委員のひとりじゃないかって言ったら“安全は聞きたくない。レースだけでたくさんだ”ってはっきり答えたんです。ぼくは彼が間違ってると思います。パリの判定はジェームズを失格と決めた。でも誰かがシーズン前に決めたいルールはみんなが守ってるんです。ジェームズのレースのやり方が悪いって言ってるんなら話は別だけど、彼はブランズハッチでは立派に走った。しかし彼が乗った車が規則違反の車だったということなんで、スペインで彼の車を合法と認めたのと同じことなんです。そこがわからないのかな。自分に不利な判定を受けたから仲間にやつあたりするのはけしからんと思います。
 自動車レースはスポーツではなくて、高給欲しさの気狂いどもが血なまぐさい遊びをしているだけなんだという暴論があるのを知っています。でもそうじゃない。グランプリ・レースは誰もが平等なチャンスを与えられて世界選手権を目指して争う立派なスポーツなんです。スポーツはルールを守らなければ成立しないのに、マクラーレンはルールを破った。だから悪いと言われた。それを反省すべきです。私がフェラーリにいる間に、フェラーリがルール違反を問われたことは一度もないことをジェームズに言ってやりたいんです。

司会:ハントとラウダのチャンピオンシップ争奪戦はいよいよ頂点に達したようです。ハントはモスポートのカナダ・グランプリとワトキンス・グレンのアメリカ・グランプリに連続優勝を成し遂げ、今や最後の日本グランプリを目前にしてラウダに3点差に迫っています。結果がどうでるか、チャンピオンは誰か、レースに関心を寄せる聴視者の皆さん、その予想はしばらくは皆さんにお預けして、ここであらためてニキ・ラウダ選手の死に打ち勝った偉大なる闘志を、人類の勝利の象徴として讃えたいと思います。
ラウダ人生には必ず運に恵まれるチャンスがあるものです。でも運だけで人生が決まるわけではありません。自分の人生を操縦するのは自分なんだということを忘れなければいいんだと思います。
司会:あなたの意志の強さには敬服のほかありません。ジェームズ・ハントはレースに勝った、そしてニキ・ラウダは人生に勝ったと言えるんじゃないでしょうか。さあ、頑張って下さい。