人間ニキ・ラウダ
ヘルベルト・フェルカーとの対話

フェルカー:あなたの初著「F1の世界」が出版されてもう8年になります。以来多くのことが変わりましたし、前著に書かれていることで、いまや既に不適切になったところが多々あります。唯一つ確かなことは、モータースポーツは基本点に立ち還ってきたように思われます。
ラウダ:この間にグランドエフェクト・カーが出現して、そして消えてゆきました。われわれは、クルマのハンドリングから判断するかぎり、物理の法則がひっくりかえったような期間を過ごしました。
フェルカー:フォーミュラ1のレース、およびそれをとりまくものすべてを含めたものが
  モータースポーツそのものもショー・ビジネスとして大浮かれで大儲けでグランドエフェクトと呼ばれる小さな何かでスッカリ変わってしまったとは思いませんか。
ラウダ:それはちょっとズバリすぎると思いますけれど、しかし基本的にはそうでしょう。この本ではその技術的な背景と、それがどうなったかを述べているのです。
フェルカー:あなた御自身グランドエフェクト・カーに反対されていて、舞台の中心人物のようなものですが、あなたの御指摘の通りのようですね。今年のラップタイムはおそくなっています。これは一歩後退だとお考えになりますか。言葉をかえれば、フォーミュラ1は新しい技術を開発して進歩した設計でスピードをあげてはならないとお考えですか。
ラウダ:以前の吸引形式のものは技術の進歩には殆んど何の価値もありませんでした。あれは非常に興味あるデッドエンドだったと思います。技術屋さん達は一方通行の道を突っ走り、われわれも彼等につきまとってゆかざるを得ません。そのあとすぐ次に空気力学的な研究開発がされて、直ちに実機に適用されました。しかし、それはいつも一時的な錯誤のようなものでかつ危険なものでした。私はあとでこれらを詳細に申し述べるつもりです。
フェルカー:あなたは、あなたが去年よりおそいことは気になりませんか。
ラウダ:いや決して。いまや私達はクルマのように走るクルマを運転しています。例えばリアに700ポンドのバネをつけています。これでも非常に硬いバネです。しかしグランドエフェクト・カーでは4500ポンドのバネを使ったのですよ。まるで厚板の上に乗っかって運転しているようなものです。
今シーズンになってから、クルマは再び予期したように走るようになりました。クルマが予期した動きから外れようとする場合、まず縦方向のロールを感じて、それから横スベリが始まるものです。
しかしグランドエフェクト・カーでは、あなたは路面におしつけられているだけで、クルマのハンドリング特性の変化を感知することは出来ません。わかっていることは、何か非常に怖くて、不自然で、何等かの理由でボディ下面の空気流れが変わったとしても、それを予知できないということだけです。普通のレーシングカーよりはるかに速いコーナリング・スピードで走っているのですから、私にはどのようにしてドライビング・テクニックを向上したら良いのかわかりません。
しかし、いろんな理由によって、われわれはグランドエフェクト・カーよりももっと速いラップで走れるようになるだろう、ということをつけ加えておくべきでしょう。新しい空気力学デザインを開発することによって、非常に実質的かつ安全に、もっともっと速くドライブ出来るようになるであろうことを確信しています。

フェルカー:ということは、デザイナー達は袖の中にまだひとつかふたつのトリックをかくしているということですか。
ラウダ:トリックというのは正しい表現ではありません。吸引形式で早期な解決策があるとは思われません。普通のウィングでのダウンフォースには限界がありますが、しかしまだデザイナー達のやるべきことは沢山あります。事実、ボディ下面でグランドエフェクトを発生していた時には、他の方法でダウンフォースを得る必要はありませんでした。さらに、エンジンとタイヤの開発で、やがてグランドエフェクト・カー当時のラップタイムが出せるようになるでしょう。グランドエフェクト・カー時代の真の功績は、われわれにダウンフォースの重要さを実証してくれたことだと思います。
フェルカー:ターボや、変テコリンなエアロダイナミックス以前の、古き良き日に疼くようなノスタルジアを感じることはありませんか。
ラウダ:いや、私は決して古き良き日を否定はしませんけれど、私にはそれが良き日だったのか、悪しき日だったのか、それとも何か違ったものだったのか、殆んど関心はありません。問題は今日がどうなのか、明日がどうなのか、ということです。
フェルカー:ところで、あなたはあなたの過去の成功もそんなふうにお考えですか。
ラウダ:そうです。この次の勝利がいつも最も大きな関心事でして、決して過去に勝ちとったものではありません。
フェルカー:そうですか。でも、過去のあなたの勝利のなかで、どれが最良であったとか、最も大事なものだったとかおっしゃって戴けますか。
ラウダ:それは、いつもいちばん最近の勝利のことです。
フェルカー:あなたはいつもそのように過去を拭い去られるのですか。例えば、1976年のニュルブルクリングの事故でも。
ラウダ:そうです。
フェルカー:あなたは鏡を見るたびに何か思い残すことはありませんか。
ラウダ:イヤ、これは私の新しい顔です。私は別に気にしていません。朝起きて鏡を見ても、昨夜はよく眠れなかったなと思ってオシッコをすることがあるぐらいです。他には別になにもありません。
フェルカー:整形外科手術を考える人もいると思いますが。
ラウダ:事実、私はニュルブルクリングの事故のすぐあと、目のまわりに皮膚移植をしました。そしてときどき、いろんなもっと他の処置、新しい眉毛をつけるとか、髪の毛を移植するとか、新しい耳をつけるとか、などの治療費見積りをとって見たりすることはあります。でもひとつには、それらは非常に非常に高価なものであり、反面それらがウマクゆくという何等のシッカリした保証はありません。私は殆んど完全に片耳をなくしましたが、別に特に困ったことはありません。逆に、今では電話をするのがラクになりました。受話器が私の鼓膜に少し近くなったので、長距離電話の時など非常に便利になりました。
フェルカー:エンゾ・フェラーリによれば、もしあなたがすうーっとフェラーリにいたら、あなたはいつもナンバー1でいられたのに、実際にはそうはならず、レコードブックでは、あなたはジャッキー・スチュワート、ジム・クラーク、およびマヌエル・ファンジオに次いで4位であるにすぎない、といっていますが。(訳者註:1984年のチャンピオンとなった現在ではクラーク、スチュワートとタイである。)
ラウダ:私はそのようなテーブル上の統計数値を気にしていません。ある時代とある時代とを正確に比較することは出来ないからです。昔のファンジオの時代には、グランプリは年間7回か8回でした。今やインフレでして、私達は毎シーズン16レースやっています。マア、いずれにしてもエンゾ・フェラーリが言いたいのは、彼のクルマはいつもベストだということでしょう。
フェルカー:彼は正しい、と思いますか。
ラウダ:そうですね、昨シーズン、ヴィルヌーヴやピローニがコース・アウトしたとき、フェラーリが簡単にブッ壊れたことに大きな怒りを感じております。おなじような状況に私のマクラーレンがなったとして、ドライバーの立場から見て、私はマクラーレンのほうがより安全だと思います。まあそれはそれとして、フェラーリは長い間トップの座かそれに近いところにいましたし、今でもそうです。
フェルカー:あなたが1977年、2度目のチャンピオンシップをとられたあと、フェラーリを去られたとき、あなたとフェラーリの両サイドで相当激しい論争がありましたね。あなたはドアを叩きつけるようにしてフェラーリを去っていきましたし、エンゾ・フェラーリは大声できびしくあなたを非難し、あなたは彼のやりかたに批判を投げつけました。現在のお互いの関係はどうなんですか。あなたは、このことを許してもう忘れていらっしゃいますか。
ラウダ:全くその通りです。あの頃の実質的な想い出は、良い想い出ばかりです。フェラーリは良いオヤジさんですし、彼がやりたいことをやらせてあげれば良いと思います。私は今ではそう思いますが、あの時はそうではありませんでした。
彼もまた私を好きになり出したようです。あのあと、1982年にイモーラで初めて会ったとき、彼はイキナリ私に近づいてきて、彼の腕をまわしてきました。ほんとに素晴らしい再会でした。放蕩息子をむかえるように抱かれて、私はホントに幸せでした。

フェルカー:感傷的なことをおっしゃるのですね。ならば、どうしてフェラーリのもう一度復帰してほしいという申し出をお断わりになったのですか。
ウダ:フェラーリはピーナッツ代くらいしか払ってくれません。私はそれでもやってきました。しかしそれは昔のことです。今はもうそんな安値に応じることはできません。それとは別に、私はマクラーレンに乗ってスタートラインからとび出してチャレンジすることに、そして全く新しいポルシェ・エンジンの快調なすべり出しに、熱中していました。私はその仕事には適任だと思いますし、それを実証して見せるべくマトを絞りました。
フェルカー:あなたがレースから引退し、そして再びレースに復帰されるまでの2年間の市民生活で、今のあなたにとって大切な何かを経験されたり、学ばれたりしたことはありますか。
ラウダ:
はい。私は学校を卒業してからはレーシング・ドライバー以外の一切のことをやっておりません。表現をかえれば、私は徹底的にそれにノメリこんでいました。
しかし、1979年フォーミュラ1が私にとってわずらわしいものになってきてやめたとき、私は私の新しいゴール、ラウダ航空に私の全エネルギーを注ぐべく方向転換しました。その時、私が学んだことは、何をするにも人々との関わり合いが多いということです。経済という車輪は非常にユックリ回っており、私はいつも自分で自分にブレーキをかけなければなりませんでした。非常にコンペティティブなフォーミュラ1の世界では、直線的な実行と決断によって遂行されることが非常に沢山あります。そこでは、自分とおなじように考え、動き、協力する、レースに釘づけされた特殊な人達とだけのつき合いです。もし夜中に何かがヒラメいたら、あくる朝早速に何かを実際にやって見ることが出来ます。しかし普通の日常生活では、帽子が落ちる間に、ものごとが変わり得るということは理解してもらえません。彼等は自分の安定ペースでノコノコ歩くのです。一般の人々には、2週間毎にチェッカーフラッグに向かって全力をつくすということはありません。なかにはこのようなチャレンジは全然経験せずにすごされるかたもあります。

フェルカー:ラウダ航空についていえば、そのチェッカーフラッグがないのでしょうか。おそらくあなたの人生ではじめて、あなたがやろうとしたことに失敗されたのを悔んでいますか。
ラウダ:私はそのような見方はしていません。私は今から思えば、考えられる最悪の時にチャーター・ビジネスをはじめました。それは世界中おなじことです。私は民間航空が国の専有によってあんなにおさえつけられているとは考えても見ませんでした。
たとえ、私がやったように直接の競合を避けた場合でもおなじことです。あのような状況にあるかぎり、オーストリアではチャーター・ビジネスは不可能です。ラウダ航空の事業は後退させて、私達はいまエグゼクティブ・ジェットの拡大に焦点を絞っており、なかなか好調です。

フェルカー:ところで飛ぶことそのものはどうです。相変わらず熱中していますか。
ラウダ:もうそんなに熱中してはいません。でも今でも飛んでいますし、今でもたびたびやるのですが、ミステールを操縦するのはむつかしくて楽しいことです。しかし飛行の魅惑は消散してしまいました。飛行は非常に鈍感な操作ですが、多くの人達は飛行に要求される技能を過大評価しています。飛行からは私の人生指標を満足させるような何かを期待することはできません。
フェルカー:何がどうしたのですか。ある朝突然目が醒めて、私はグランプリに復帰するのだ、と御自分に言いきかせたのですか。
ラウダ:いやそうではありません。段々とそうなったのです。飛ぶことがすべてではなく、飛ぶことだけで終わるべきでないことに、段々と気付きはじめたのです。私が引退した1年あと、1980年にはフォーミュラ1は私には冷たいものに思えました。私はグランプリを観るためにTVのスイッチを入れることもありませんでした。しかし次のシーズンになると、私は少しTVの放映に興味をもつようになりましたが、依然として、可愛想にまだ走っているのかと彼らをあわれんでいました。ところが、オーストリア・グランプリでTVの解説者をしていたとき、これは素晴らしいものだ、彼等のなかに帰っていくのにどんなアピールをすればよいのか、と考えはじめるようになりました。そのような考えで早速モンザに行って、テストをやって見ようというアイディアを出しました。モンザでの話し合いはうまくいき、次のステップはコース上で実際にテストして見ることになりました。そして1981年の11月にドニントンで走って見たのです。
フェルカー:フォーミュラ1に再び乗り込むという高揚した気分は如何でしたか。
ラウダ:高揚?いやちがいますよ、屈辱的なものでした。1ラップしただけで私はハンドルが握っておれないくらいでした。私はかつて一日中そんなに度々はピットに入りませんでした。しかしこのときはいろんな口実を設けてはピットに入りました。これは悪い、アレはマズイ、これはダメだ、と。でも、ずーっとピットにいたわけではありません。その日、後半になってくると段々調子が良くなり出し、私はスピードそのものが問題なのではないことを見出しました。私は身体を慣れさせることは気にしていませんでした。それは適切なトレーニングで解消できることです。ヴィリー・ドングルがすぐ私のトレーニング・スケジュールを作ってくれて、私の最初のレース前に、私はピーク・コンディションになっていました。
フェルカー:ニキ・ラウダがレースに復帰しようとしたときに、興味を示したのはマクラーレンだけですか。
ラウダ:幸いにもうひとつ、ウィリアムズも興味を示していました。もしそうでなかったら、私の市場価値はもっと低かったということになります。
フェルカー:2年のレイオフのあとでも、彼等はあなたにトップクラスたるべき能力があることを信じていたにちがいありませんね。
ラウダ:そんな風に茶化さないで下さい。一時期には、4レースだけの契約で、賞金も分配という契約をしなければなりませんでした。これはかなり悪い条件でしたけれど、私には選択の自由はありませんでした。信じられていたといってもその程度のものです。
フェルカー:あなたはあなたのカムバックを奥さんと相談しましたか。それとも或る日突然「俺はレースに復帰するよ」とおっしゃったのですか。
ラウダ:彼女にとってはほんとにオドロキでした。初めの頃は、私がカムバックするという噂は、全く噂にしかすぎない、と言いきかせていました。どんなに沢山なデタラメガチャンと新聞記事になっているかを知っている彼女は素直に私のいうことを信じていました。そして契約書にサインしてから、私は彼女に話しました。マルレーンがいったことは「あなたは頭が空っぽなのね」でした。それから数日もしないうちに、彼女がいかにモータースポーツをきらっているか、私が再びはじめることはいかに馬鹿げたことかを言うようになりました。
フェルカー:奥さんは1976年にあなた達が結婚されたときからそうでしたか。
ラウダ:そうですね、あの頃の彼女が良い面だけを見ていました。しかし数週間後にニュルブルクリングに来ましたとき、この職業は燃えカスになったり、ガラクタになったりすることがあり、そして他にもいろんな恐怖がつきまとっていることを知りました。あの時のショックは私よりも彼女のほうが、はるかにはるかに大きかったと思います。私は少しばかりはそんなことが起きるかもわからないことを予期していました。しかし彼女はそんなことがあるとは全然予知もしていませんでした。あれから彼女は殆んどレースコースに来なくなりましたし、今では全然来ません。マルレーンにとって一番良いレースは、キャンセルになったレースです。
フェルカー:そのことはあなたに特別なプレッシャーをかけますか。
ラウダ:もちろん、私の妻が私の職業をもう少し好きになってくれたら幸せだと思います。私のカムバックが彼女に最初の衝撃を与えた数日あと、私達は話し合いをしました。一人の男が、結婚しているからという理由だけで、彼がいちばんやりたいと思っていることをあきらめるべきであろうか、と彼女にたずねました。私は、男でも女でも誰でも各々の自由があるということで、マルレーンに納得してもらいました。もし彼女がエヴェレストに登りたいと思うなら、彼女の幸運を祈ります。とは言っても、私がレースをやっている間は彼女は登らないでしょうが。もっとも、そんなのは子供達にとっては無責任な話ですが。
フェルカー:あなたは結果的に自分を第一にされた訳ですね。
ラウダ:今のところ、
私はレースを第一にしています。他の全てのことを二の次にして、はじめてレースができるものです。私はおそろしく自己中心的ですけれど、私自身それを良く知っており、特に家族がからむ場合、私はできるだけ彼らのことも考えるようにしています。
フェルカー:良いドライバーは誰でも自己中心的だということをどうお考えですか。すなわち、冷酷な性格でなければトップには立てないということですが。
ラウダ:私もそう思います。彼等は皆んなおなじです。誰もがナンバー1を狙っています。そして冷酷でない人にはそれが出来ません。
フェルカー:私はドライバー間にはそんなに友情はないと思いますが、いかがでしょう。チームメートでもそんなに多くの友情精神はないのではないでしょうか。
ラウダ:ホントだと思います。彼等の共通の意志で動けるほど、お互いに強い絆はないと思います。
フェルカー:あなたが復帰されたあとのフォーミュラ1をどうお考えですか。
ラウダ:以前と全く変わっていません。
フェルカー:ひどく疲れて以前からと同じことをやっている、というようなことですか。
ラウダ:イヤイヤそれは全くちがいます。ゲームそのものは同じですが、私は変わりました。私は新鮮な気分で積極的になっています。
フェルカー:突然そうなったのを、どういうふうに説明できますか。
ラウダ:それは非常にムツカシイです。私はまた楽しみだした、というだけです。一時私が良いとも思わなかったものに対して、また積極的になっただけです。
フェルカー:例えばどういうことですか。
ラウダ:そうですね、例えば私はテストのためにイモーラに行きます。コースはひどく凸凹していて到るところでイルカのようにバンバン跳ねます。そこで私は自問します、私にとってこれはホントに必要なことだろうか、私は真面目にこんなバクチにかけるべきなのだろうかと。しかし私の積極的な精神は高揚しており、私は私自身にとびこんでいけ、通り抜けてゆけと話しかけています。これは大切なことだと思いますし、モータースポーツにとって大事なことで、そこにシガミついてシッカリやりなさい、ということになります。
齢をとるに従って全開で突っ走るのはラクではなくなります。しかし、こんな精神的なブレーキから脱け出せないかぎり、その中に閉じこめられてしまうでしょう。私がカムバックする前には、私が争うことが出来るかどうか、私は100%たしかではありませんでした。決してラクではありませんけれど、マアなんとか積極的なヤル気を保ち続けています。

フェルカー:今日現在でのフォーミュラ1のドライバーの役目ということについて話して戴けませんか。グランドエフェクト・カーでは、吸引力によって、まるでクルマがレールの上を走っているようにコーナーを回れます。ホントに誰が運転しているのか?が問題なのでしょうか。
ラウダ:それがホントに奇妙なんですね。空気力学的設計には、いろんな要素が積み重ねられていて、今ではホントにすぐれたものとは言い難いところまできてしまっています。クルマの性能について、もしドライバーが設計者に価値あるフィールドバックを与えようとすれば、非常に熟練していてかつ非常な重労働をしなければなりません。
そして83年の春に“ノーマルカー”にもどったわけですけれど、考慮しなければならない新しい要素が出てきました。技術的にいえば、私達は再び未験の領域にもどってきたわけです。例えばこの数ヵ月間、私達はタイヤだけに頼っていました。勝つか負けるかはタイヤの仕上がり次第でして、唯私達に出来ることは荷重や温度や、アドヒージョンの相互作用などの複雑な要素をいかに判断するか、ということだけでした。私達はこのような問題はもう数年前にやってしまったと思っていました。ところがフォーミュラ1技術が進んでくると、再びそれが問題になってくるのです。

フェルカー:あなたはコース外にとび出すようなミスを1982年のシーズンで2度やってます、一度はデトロイトでロスベルクを追い越そうとしたときで、一度はホッケンハイムのプラクティスでスピンしてキャッチフェンスに突っこんだときです。1シーズンに2回のミスというのは平均的なのでしょうか、あるいは気にしなければいけないことなのでしょうか。
ラウダ:コースによりけりではないかと思いますね。私がレースをはじめてから、少なくともシーズン間1回はスピンしています、もちろんはじめの頃はもっと多かったですけれど。年間2回というのは、少なくともクルマから脱出できるのであれば、気にはなるけれどマアマアといったところだと思います。
フェルカー:こんなことがおこり得る可能性を予期しながら、どうして心の平静を保っていらっしゃいますか。私は無智で鈍感で、そんなことは全然怖くない、などと答えないで下さいよ。あなたは恐怖に対して平静でいられる何か特別のやりかたをしていらっしゃいますか。
ラウダ:もしあなたがホントに恐怖におそわれたら、しかもそれが強度の恐怖である場合、あなたはどうすることもできません。このような恐怖は、あなたがこうしようと考えたことをあなたが完全にコントロールすることが出来ないことを認知したことからくる恐怖ですから、おそらく明確な理由のある恐怖だと思います。このような恐怖はグランプリ・ドライバーにはありません。マアしかし、そうは言ってもたしかにそれらしいところはあります。レース当日の朝、私はたびたび口のなかが不愉快に乾いて目醒めることがあります。それがおこりますと、原因を理論的に追究するための私自身のいつも処方をやります。私はこんなやりかたはすべての“ムカムカ”に対して有効だと思いますが、けど、今は恐怖にポイントを絞りましょう。私がやることは静かに独り離れて深く考えて見る、ということです。私は一体何を怖れているのか?私はミスをするかもわからないということか?私は自分自身にNOと言いきかせます、私は最高の状態にあるのだからと。何かクルマにオカシなことがおこるのでは?もし自分が設計者のジョン・バーナードやマクラーレン・チームに信用がおけないようであったら、自分はずうーっと前に他のチームに行っていたハズだと答えます。イヤそれは機械的な欠陥ではあり得ないハズだ。あるいは他のドライバーがコースアウトの原因を作るかもわからないことを怖れているのか?いや、これこれのドライバーは信用できる、だからアイツとコイツの近くを走っているときに気をつけてさえいればいいのだ、と自分にいいきかせます。普通こんな合理的な思考をすることで、ムカツクような感じを追い出すのに充分です。
フェルカー:ほんとにそんなに単純ですか。それがあなたの生命にかかわる問題の解決法だとおっしゃるのですか。
ラウダ:いいえ、しかしこれが抑えきることが出来ない感情から脱却するための、私のやりかたなのです。もし、私は悪いドライバーであるとか、私は肉体的に充分ではないという結論に達するのであれば、このような感情を追い出すのに理詰めでやってもしょうがないと思います。
フェルカー:あなたがニュルブルクリングの事故のあと再びコクピットに坐られたときが、あなたの全キャリアの中でもっともムツカシイ時だったとお考えになりますか。
ラウダ:それは6週間後のモンザでした。私は恐怖でコチコチでした。まるで1秒毎にウンチに行かなければならないと考えるような恐怖でした。
フェルカー:いやあー、とうとう白状されましたか。あなたがモンザで恐怖におそわれていたとはひとこともおっしゃっていなかった。
ラウダ:確かにそうは言いませんでした。しかしテレビカメラの前で何と言えばよかったと言うんですか。「皆さんしばらくお待ち下さい。私はホントに恐怖でマッサオなので、私はウンコに行きたいのです。」そう言えばよかったんですか。
あんなとき、人は初めに思いついたことをシャベるものです。「少しオーバーステアです。だけど私にはピッタリです……」と、そんなものじゃありませんか。そしてツジツマを合わせるのに、時々立ち往生する、そんなところでしょう。

フェルカー:あなたは実際にはどうしたのですか。
ラウダ:私はモンザのワイワイガヤガヤから逃げ出して、落付いて静かなホテルの私の部屋で、いま私があなたにお話ししたテクニックを使って、ジイーッと考えていました。なぜ私はおそれているのだろう。答はこうです。その日の走行では私はフォーミュラ1のハンドリングを充分にこなせるところまではきていませんでした、私のリアクションはすべて間違っており、まるで初心者クラスのような運転をしていました。そしてそれから事故からタッタ6週間の間に、私がグランプリ・ドライビングから得てきたもののすべてを全部忘れてしまうことはあり得ないと考えかつ決意しました。私にとって必要なのはホンの少しの自信だけなのだ。私はものごとをユックリと、しかしシッカリとすすめてゆけば良いのだ。翌日の走行はそのようにしてやり、パニックはコントロールされた状態のままでいればやってこないことを確信して、私は少しずつ向上してゆきました。夕方にはフェラーリのドライバーの中では私がトップになっていました。そして私はレースそのものにも自信を持つようになり、その後のすべてのレースでもそうであるようになりました。
フェルカー:1982年の南ア・グランプリはあなたの2年間の休止のあとの最初のレースになります。同時にあのレースはドライバーやチーム・ボスやレース・オーガナイザーをまきこんだ最大の衝突事故の場でもありました。たまたまあなたは事故のうしろにいらっしゃいました。そしてあなたは続いておこったドライバー・ストライキの急先峰でした。最も経験豊富なドライバーがグランプリの体制に対してもっとも激しく対立するということは一体どういうことでしょうか。
ラウダ:
私は自主自立です。なんの絆もありません。もし私のチームが私を追い出しても私のハートは別に傷つきません。それで私は、ドライバーの権利のために闘い、イザコザを解決するために立ち上がるのは、他の人達よりも有利な立場にあると考えました。キャラミは典型的な場です。私は、私達に提示されたスーパー・ライセンスなるものは、本当はチーム・ボスに白紙委任状を与えるものであるにすぎないということを他の人達に納得してもらうことができました。もし私達がOKといえば、彼等の掌中に入るようなものです。私達は普通は偏執狂的にバラバラですけれど、キャラミでは共通の目標に対して、はじめてホントの意味での結束をしました。結果は“妥協”ということでしたが、これはドライバーにとっての勝利に他なりませんでした。悲しむべきことですが、ドライバー達は一緒になって何かしようということは殆んどない、というのが事実です。いつも一人かあるいは何人かが尻ごみします。一致団結できればいいんですけど。これはチーム・ボス達や、フォーミュラ1のお役人達や政治家たち、についても全く同じことが言えます。誰もモータースポーツ全体としてモノを見ようとはしていません。彼等は自分達の利益ばかり見ています。利益とは全く無関係なハズであるべき連盟の会長ですら、年がら年中気狂いじみた石の投げ合いをやっています。
フェルカー:あなたが情熱的に急先鋒になられたフォーミュラ1の変更、すなわちスカートや空力的なアンダーボディの禁止などは、模範的な協力のおかげで成立したように思いますけれど。
ラウダ:それには私自信がビックリしていることを認めないわけにはゆきません。しかし、正直に申しまして、モータースポーツとして私達は共通の考えかたをしていたとは思いません。唯、事実はグランドエフェクト・カーはグランプリレースをつぶしてしまうであろうことを、誰もが認識したということだと思います。
フェルカー:厳密にいいますと、あなたはターボにも反対すべきだった。結局、ターボも気狂いじみた情況を生み出した要素のひとつであったわけです。
ラウダ:私が申しあげたいのは、レギュレーションの範囲内で技術的な解決を模索し、莫大な資金を投下し、正しい選択によって実効をあげつつある企業を罰することはできない、ということです。もし誰か6フィートの長さの足をもって、15フィートの高さを跳べる人が出て来ても、ルールブックを書きなおして、彼がハイジャンプに挑戦するのをとめることは出来ません。さらに、レースコース上でターボの開発をすることは自動車産業の技術革新の源泉のひとつでもあるわけです。今日では沢山の人達がターボ車を運転しています。彼等が何がおこりつつあるかに興味をもつことは当然です。ターボ・エンジンに関するかぎり、まだまだ沢山な技術開発を必要としています。結果としてフォーミュラ1は再びパイオニアとしての役割を果しつつあることを忘れてはなりません。私達はターボと共に生きることを学ばなければなりません。ターボは決して一過性の一時的な流行ではありません。
フェルカー:ということは、長期的な視野で見ればノン・ターボの普通エンジンは死滅してしまう、ということですか。長期予測ではターボ・エンジンは800〜900馬力を出すようになるだろうといわれています。全くバカげているとはお思いになりませんか。
ラウダ:たしかに800〜900馬力は今日のサーキットでは手に負えません。お墓への近道となるでしょう。ターボは、コンベンショナル・エンジンと競合状態を保つためにではなく、コントロールできる範囲内にあることを保つために、何等かの方法でチェックされるべきだと思います。エンジン容積を小さくすることは、今日すでに投資されているものを無駄にすることであって余りウマイ方法ではないと思います。1984、1985年に施行されようとしている燃料タンク容量の制限は有効な解決だと思います。もし技術がもっと進歩して、燃料消費を下げても、なお巨大なパワーが出せるようになったら、もう一度考えなおさなければならないでしょう。しかし当面、小さいタンクをチェックするだけで充分だと思います。
フェルカー:あなたは19歳のときはじめてミニ・クーパーでレースをなさいました。それ以来、あなたの夢も幻もすべてレースに限られていました。ところで、34歳になられた今、どんなことをお考えですか。
ラウダ:
ほんとのところ私は幻をもったことはありません。決してもったことはありません。私は充分な想像力をもっていないからです。そして私の夢と野心はいつも次の段階ということに集中していました。私がミニ・クーパーで私達のクラスの2位になった最初のレース以来、私はそのクラスで勝つべく決心しました。あらゆるゴール、あらゆるチャレンジは、一歩前進ということでした。20歳の時に、私はいつかワールド・チャンピオンになるのだと宣言する気など全然ありませんでした。幻影を追いませんから、従って失望することもありません。
フェルカー:私達は最初の本のとき同じような会話をしました。8年前のことです。あの時最後に、引退されてから何かしようというお考えがありますかと質問しました。あなたは飛ぶことだとお答えになって、それ以外に素晴らしいことはないとおっしゃいました。それから、あなたは一度引退され、長い時間を空の上で過ごされました。私にもう一度質問させて下さい、あなたの二度目の引退のあと、あなたは何をやりたいとお考えですか。
ラウダ:それはおそらく何か全然ちがったものだろうということ以外、私は何の手がかりももっていません。あるいは現在・現状とは相当カケ離れたものかもわかりませんけれど、私はハッキリした概念をつかんでおりません。そうですね、恐らく言えることは、今とは全くちがった領域で活動するだろうということだけです。
フェルカー:幸せですか?
ラウダ:それは私が決して気にしてこなかったことです。たとえ蹴っとばされても、私は私がやりたいことをやるべく試みてきました。今日まで、いつも概ね成功してきたと思います。もしそれが幸せというものなら、そうですね、私は幸せだと思います。